似た意味を持つ「怪訝」(読み方:けげん)と「懐疑」(読み方:かいぎ)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。
「怪訝」と「懐疑」という言葉は、どちらも「怪しむこと」を意味しているという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。
怪訝と懐疑の違い
怪訝と懐疑の意味の違い
怪訝と懐疑の違いを分かりやすく言うと、怪訝とは事情が理解できずに怪しむことを表し、懐疑とは物事の真偽が分からなくて怪しむことを表すという違いです。
怪訝と懐疑の使い方の違い
一つ目の怪訝を使った分かりやすい例としては、「母は弟に何かあったのかと怪訝そうに尋ねた」「趣味の話をしていたら怪訝な顔をされてしまった」「観客は意外なゲーム展開に怪訝な表情を浮かべる」などがあります。
二つ目の懐疑を使った分かりやすい例としては、「ワクチンの効果について私は懐疑的だ」「日銀の金融政策について懐疑的な目をもつ人は多い」「科学者たちは超常現象を懐疑する」などがあります。
怪訝と懐疑の使い分け方
怪訝と懐疑という言葉は、どちらも物事を怪しんでいる様子を表しますが、厳密な意味や使い方には違いがあります。
怪訝とは、その場の事情や状況が理解できずに、不思議に思うさまや怪しむ様子を意味します。多く「怪訝な顔」という言い回しで用いられ、わけが分からなくて納得がいかない顔の表情を表します。
懐疑とは、事実とは違うのではないかと疑ったり、怪しんだりするさまを意味します。「懐疑的な目」とは、物事を否定的にとらえ、疑問を持っているような目のことであり、否定的な態度を取っている様子を表現します。
つまり、怪訝とは事情や状況が分からなくて怪しむことであり、懐疑とは物事の真相が分からなくて疑ったり怪しんでいることを表します。この点が、二つの言葉の明確な違いになります。
怪訝と懐疑の英語表記の違い
怪訝を英語にすると「dubious」「perplexed」となり、例えば上記の「怪訝そうに尋ねる」を英語にすると「ask dubiously」となります。
一方、懐疑を英語にすると「disbelief」「skepticism」「doubt」となり、例えば上記の「懐疑的である」を英語にすると「express skepticism」となります。
怪訝の意味
怪訝とは
怪訝とは、不思議で納得がいかないこと、そのさまを意味しています。
怪訝の読み方
怪訝の読み方には二通りあり、「けげん」の他に「かいが」とも読みますが、一般的には「けげん」と読まれています。
表現方法は「怪訝な顔をされる」「怪訝な表情を浮かべる」「怪訝な面持ち」
「怪訝な顔をされる」「怪訝な表情を浮かべる」「怪訝な面持ち」などが、怪訝を使った一般的な言い回しです。
怪訝の使い方
怪訝を使った分かりやすい例としては、「店員が怪訝な表情でこちらを見ている」「英語を読み間違えたら先生が怪訝な顔をした」「隣のおじさんは、いつも怪訝そうな顔をしている」などがあります。
その他にも、「知らない番号の電話に怪訝そうに出た」「誕プレにイラストを描いて渡したら怪訝な顔をされてしまった」「息子が怪訝な面持ちでスマホを見ている」「声を掛けたら怪訝そうに振り向いた」などがあります。
怪訝の「怪」は不思議な事柄や怪しいさま、「訝」は心もとなく思うことや疑わしく思うことを表します。怪訝とは、その場の事情などが理解できず、納得がいかないさまを意味する言葉です。
怪訝の語源
怪訝の語源は、仏教用語の「化現」(読み方:けげん)に由来します。仏教では、神仏が姿をかえてこの世に現れることを「化現」と言い、この意味が転じて「不思議なこと」を「怪訝」と表現するようになりました。
怪訝の対義語
怪訝の対義語・反対語としては、他人の考えや行動などを十分に理解して得心することを意味する「納得」、承知することや事情などがわかることを意味する「合点」、よくわかって承知することを意味する「得心」などがあります。
怪訝の類語
怪訝の類語・類義語としては、はっきりしないので気がかりであることや怪しく思うことを意味する「いぶかる」、変だと思うことや疑わしく思うことを意味する「怪しむ」、本当かどうか怪しいと思うことや不審に思うことを意味する「疑う」などがあります。
懐疑の意味
懐疑とは
懐疑とは、物事の意味・価値、また自他の存在や見解などについて疑いをもつことを意味しています。
表現方法は「懐疑の目」「懐疑の念を抱く」「懐疑的な意見」
「懐疑の目」「懐疑の念を抱く」「懐疑的な意見」などが、懐疑を使った一般的な言い回しです。
懐疑の使い方
懐疑を使った分かりやすい例としては、「早期の英語教育については懐疑的である」「自分の仕事に懐疑の念を抱くようになりました」「職業的懐疑心をもって監査に臨みます」などがあります。
その他にも、「モンテーニュは近代的な懐疑主義思想を展開しました」「無理やり言い換えようとする彼に懐疑的になっています」「気候変動をめぐり懐疑論や否定論が巻き起こっています」などがあります。
懐疑とは、疑いを抱くことや怪しむことを意味し、考えを決定するのに十分な根拠がないため動揺している心的状態を表します。懐疑の「懐」は胸中にいつまでも思いを抱くこと、「疑」は疑わしく思うことを表す漢字です。
「懐疑主義」の意味
上記の例文にある「懐疑主義」とは、 物事の存在や価値などを信じない考え方であり、人間にとって普遍的な真理を確実にとらえることは不可能だとする立場のことです。懐疑主義の哲学者には、ヒューム、デカルト、モンテーニュなどがいます。
懐疑の対義語
懐疑の対義語・反対語としては、訳もわからずひたすらに信じることを意味する「盲信」、固く信じて疑わないことを意味する「確信」、価値や力量などを実際よりも高くみて信頼しすぎることを意味する「過信」などがあります。
懐疑の類語
懐疑の類語・類義語としては、疑わしく思う気持ちを意味する「疑念」、本当かどうか疑いをもつことを意味する「疑惑」、疑わしく思うことを意味する「不審」、他人が何か企んでいるのではないかと疑うことを意味する「猜疑」などがあります。
怪訝の例文
この言葉がよく使われる場面としては、わけが分からなくて納得がいかない様子、不思議に思うことを表現したい時などが挙げられます。
例文1や例文5にある「怪訝な顔」の意味は、「理解できずに戸惑っている顔」「わけが分からなくて困惑している顔」など、どうしたらいいか途方にくれるような表情である顔です。
懐疑の例文
この言葉がよく使われる場面としては、疑いを抱くこと、怪しむこと、ある命題の真偽について判断を下していない心的状態を表現したい時などが挙げられます。
例文3にある「職業的懐疑心」とは、主に会計士や監査人に対して使われる言葉であり、誤りや不正による虚偽表示の可能性に常に注意し、監査証拠を鵜呑みにせず、批判的に評価する姿勢のことです。
怪訝と懐疑という言葉は、どちらも「怪しいと思うこと」を表します。どちらの言葉を使うか迷った場合、事情が理解できずに怪しむことを表現したい時は「怪訝」を、物事の真偽が分からなくて怪しむことを表現したい時は「懐疑」を使うようにしましょう。