似た意味を持つ「億劫」(読み方:おっくう)と「面倒」(読み方:めんどう)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。
「億劫」と「面倒」という言葉は、どちらも物事を行うのに手間がかかり、煩わしいことを表現する意味を持つという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。
億劫と面倒の違い
億劫と面倒の意味の違い
億劫と面倒の違いを分かりやすく言うと、億劫というのは、その物事を行う人が気が進まない気持ちになっていることを表現するもので、面倒というのは、その物事自体が厄介で手間がかかりそうなことを表現するものであるという違いです。
億劫と面倒の使い分け方
億劫というのは、元々は仏教用語です。億劫と書いて「おっこう」と読まれていたもので、億劫の「劫」という字が、時間の流れの最長を表していました。億劫とは「一劫」の億倍を意味していて、果てしなく時間がかかることを表現する言葉です。
億劫という言葉を使う場合には、対象となる「物事」が億劫であるというよりも、その物事を行う「人」の気分や気持ちによるところが大きいものです。例えば、普段は億劫だと思わないことでも、疲れている時には億劫に感じたりするものです。
一方の面倒という言葉は、元々は「目どうな」という言葉でした。この「目どうな」というのは「見るだけ無駄なもの」という意味の言葉です。この言葉が変形して「めんどう」となり、面倒という当て字が付けられました。
また、面倒という言葉には「世話をする」という意味も含まれています。子供の世話をする、後輩の世話をすることを、「子供の面倒を見る」「後輩の面倒を見る」と表現したりします。
面倒というのは、億劫と違って、その「物事自体」が厄介な場合が多いものです。その物事を行う人の気分だけでなく、行う物事自体の解決が容易でなかったり、煩わしかったりするものであると覚えておくようにしましょう。
億劫の意味
億劫とは
億劫とは、非常に時間がかかりそうで気が進まない、気分が乗らない様子を意味しています。
億劫の語源
億劫とは、本来「おっこう」という読み方をする仏教用語でした。現在では、形容動詞として「おっくう」という読み方で使われています。
億劫という言葉は、仏教用語で「一劫」の億倍を示しています。億劫の「劫」という字は、現在の常用漢字ではありませんが、昔から使用されている漢字で、仏語では極めて長い時間のことを意味するものです。時間の単位の最長のものとされています。
つまり「一劫」という表現でも、時間の長さの最長を示すことになるのに、その億倍を示すのが「億劫」という言葉であるということになります。時間の長さの最長単位を、更に億倍するほどに時間や手間がかかりそうなことを「億劫」と表現するものです。
億劫の使い方
物事を行う前から「億劫」なくらい時間がかかりそうであり、手間がかかりそうなことについて「億劫である」と表現します。つまり、時間と手間がかかることが想像出来て、気が進まない物事について「億劫」と表現するのだと言えます。
億劫という言葉の中には、解決するのが難しいという意味はあまり含まれていません。行うべき物事について、時間と手間をかければなんとかなるだろうことについて「億劫」と表現することが多いものだと覚えておくようにしましょう。
また、億劫というのは、その物事を行う人の気分によるところが大きいものです。気が進まないという意味を含む言葉なので、その人それぞれの状態や気分などによって、億劫に思う度合いは変わってくるものです。
表現方法は「億劫な気持ち」「億劫で仕方ない」「億劫である」
「億劫な気持ち」「億劫で仕方ない」「億劫である」などが、億劫を使った一般的な言い回しです。
億劫の類語
億劫の類語・類義語としては、手間がかかって煩わしいことを意味する「面倒」があります。
億劫の「億」という字を使った別の単語としては、限りなく大きい数を意味する「億兆」、巨万よりも意味が強い莫大な数を意味する「巨億」、億の千倍を意味する「千億」などがあります。いずれも数の大きさを示す時に使用される漢字です。
面倒の意味
面倒とは
面倒とは、物事を解決するのが容易でなかったり、煩わしかったりする様子や、誰かの世話をすることを意味しています。
面倒の語源
面倒という言葉は、元々は「目どうな」という言葉でした。そこから転じて、現在では「面倒」という言葉で一般的に使用されています。
面倒という言葉の成り立ちは、「目どうな」という言葉です。この「目どうな」の「どうな」というのは、無駄になることを意味する言葉です。つまり、「目どうな」というのは、見るだけ無駄であるという意味になります。
この「どうな」という表現を使った別の言葉としては、「手間どうな」などがあります。現在では「手間どう」という言葉で使われることの多いものです。これは多くの手数を無駄に浪費しているという意味の言葉です。
このように、面倒という言葉は「目どうな」という言葉が変形して「めんどう」となり、そこに「面倒」という漢字を当て字としてつけたものです。
面倒の使い方
上記を踏まえた上で、面倒という言葉の意味合いを考えると、面倒というのは、解決が簡単ではないと想像されたり、手間がかかって煩わしい事態であることを意味しています。これは物事に対して使われる言葉です。
例えば「面倒事を押し付けられる」というような表現で使われたりします。これは「面倒な事柄」を頼まれたことを意味していて、面倒なのはその人の気分なのではなく、物事自体の性質です。
また、面倒という言葉には、世話をするという意味も含まれます。これは「子供の面倒を見てもらっている」などのように使用されるもので、手間をかける、手をかけるというような意味を持ちます。
この世話をするという意味においても、世話をしなくてはいけない相手の方に面倒さがあるものであり、面倒を見る人の気分ではなく、対象となる人を手がかかるものとして表すものです。
表現方法は「面倒をかける」「面倒をみる」「面倒そう」
「面倒をかける」「面倒をみる」「面倒そう」「面倒だ」などが、面倒を使った一般的な言い回しです。
面倒の類語
面倒の類語・類義語としては、扱いに手数がかかり煩わしいことを意味する「厄介」(読み方:やっかい)や、込み入っていて煩わしいことを意味する「煩雑」(読み方:はんざつ)などがあります。
面倒の「面」という字を使った別の単語としては、気後れした顔つきを意味する「臆面」、記憶によって心に思い浮かべる顔や姿を意味する「面影」、物を任意の線で切断した切り口を意味する「断面」などがあります。
億劫の例文
この言葉がよく使われる場面としては、物事を行うより前に、その物事が時間と手間を必要としそうで気が進まない様子を表したい時などが挙げられます。億劫という言葉は、本来は仏教用語で「おっこう」と読まれているものでした。
億劫というのは、行うべき物事が、ものすごく長く時間がかかりそうで、手間がかかると想像されることにより、それを行うことに気が進まない、気が乗らない様子を示す言葉です。
これは、個人の気分によるところが大きく、億劫に思う度合いというのは、人によって異なるものです。外出するのを億劫だと思う人もいれば、家の掃除をするのが億劫だと思う人もいます。気持ちによる所が大きい表現だと覚えておくようにしましょう。
面倒の例文
この言葉がよく使われる場面としては、これから行おうとしている物事が解決が容易でなかったり、煩わしかったりする時や、誰かの世話をしなくてはならない時などが挙げられます。
面倒というのは、物事に対して使われる言葉であり、その物事を行う人の気持ちの部分についてはあまり関係していません。気持ち的に面倒というよりも、行うべき物事自体が面倒であるという表現が一般的です。