【行雲流水】と【天衣無縫】の意味の違いと使い方の例文

言葉の使い方の例文

似た意味を持つ「行雲流水」(読み方:こううんりゅうすい)と「天衣無縫」(読み方:てんいむほう)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。

どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。

「行雲流水」と「天衣無縫」という言葉は、どちらも「自然でありのままの様子」を表しているという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。




行雲流水と天衣無縫の違い

行雲流水と天衣無縫の意味の違い

行雲流水と天衣無縫の違いを分かりやすく言うと、行雲流水とは自然に任せた行動を表し、天衣無縫とは自然で天真爛漫な人柄を表すという違いです。

行雲流水と天衣無縫の使い方の違い

一つ目の行雲流水を使った分かりやすい例としては、「私たちはこのまま行雲流水でいるべきだ」「行雲流水の如く自然に身を任せる」「行雲流水という考え方が好きです」「行雲流水の生活を送っています」などがあります。

二つ目の天衣無縫を使った分かりやすい例としては、「彼女は天衣無縫な子供ように笑った」「母は裏表のない天衣無縫な人です」「天衣無縫で読みやすい文章だ」「彼が詠む俳句には天衣無縫の趣きがある」などがあります。

行雲流水と天衣無縫の使い分け方

行雲流水と天衣無縫という言葉は、どちらも自然でありのままの様子を表し、プラスイメージのある四字熟語です。二つの言葉は似たような意味を持ちますが、語源や使い方には違いがあります。

行雲流水とは、空を行く雲と流れる水を語源とし、物事に執着せずに自然の成り行きに任せて行動することのたとえに用いられる言葉です。また、諸国を修行してまわる禅僧を表すこともあります。

天衣無縫とは、天女の衣服には縫い目がないことを語源とし、人柄が素直であり、天真爛漫で嫌みがないさまを表す言葉です。また、物事が完全無欠であったり、文章や詩歌がわざとらしくなく巧みであることの意味でも用いられています。

つまり、行雲流水は自然に任せた行動を表す時に用いられる言葉であり、天衣無縫は素直で天真爛漫な人柄を表す時に用いられる言葉なのです。

行雲流水と天衣無縫の英語表記の違い

行雲流水を英語にすると「floating with the tide」「let it be」となり、例えば上記の「このまま行雲流水でいるべきだ」を英語にすると「let it be as it should be」となります。

一方、天衣無縫を英語にすると「guiltless」「innocent」「flawless」となり、例えば上記の「天衣無縫な子供」を英語にすると「an innocent child」となります。

行雲流水の意味

行雲流水とは

行雲流水とは、物事に執着せず、淡々として自然の成り行きに任せて行動することのたとえを意味しています。

行雲流水の使い方

行雲流水を使った分かりやすい例としては、「何も捉われない行雲流水の生き方に憧れる」「私は行雲流水を座右の銘にしている」「行雲流水と書かれた掛け軸を買いました」「行雲流水の心を持っている人だ」「行雲流水でありのままを受け入れる」などがあります。

その他にも、「文を作るは行雲流水の如し」「年を取ると行雲流水の境地になるものだ」「行雲流水は流れるように生きる様を示した禅語です」「海外で生活すれば行雲流水に英語を習得できるでしょう」などがあります。

行雲流水の由来

行雲流水とは、空を行く雲と流れる水を表し、転じて、自然のままに移りすぎること、執着せずに自然のなりゆきにまかせて行動することのたとえに用いられる言葉です。行雲流水という言葉の語源は、古代中国の文豪である蘇軾の言葉、「文を作るは行雲流水の如く」に由来します。

また、行雲流水は仏教の禅語にも用いられています。とどまることのない雲や流れる水のように行方が定まらないという意味から、諸国を行脚する僧を表す言葉でもあります。

行雲流水と光陰流水の違い

行雲流水という言葉に似た四字熟語には「光陰流水」がありますが、光陰流水は月日のたつのが早いことのたとえに用いられる言葉であり、行雲流水とは使い方が異なるので注意しましょう。

行雲流水の対義語

行雲流水の対義語・反対語としては、自分の考えに固執して柔軟でなく正しい判断ができないさまを意味する「頑迷固陋」、自分の意志や流儀をかたくなに通して頑固なさまを意味する「狷介固陋」、自分の意志をかたくなに守って他と協調しないさまを意味する「狷介孤高」などがあります。

行雲流水の類語

行雲流水の類語・類義語としては、雲が目の前を過ぎ去ってとどまらないように物事に深く執着しないたとえを意味する「雲烟過眼」、心にわだかまりがなく無欲であっさりしているさまを意味する「虚静恬淡」、淡泊で欲がなく物に執着しないさまを意味する「無欲恬淡」などがあります。

天衣無縫の意味

天衣無縫とは

天衣無縫とは、天人や天女の着物には縫い目がないことから、文章や詩歌がわざとらしくなく自然に作られていて巧みなことを意味しています。

その他にも、「人柄が飾り気がなく純真で無邪気なさま、天真爛漫なこと」の意味も持っています。

天衣無縫の使い方

「天衣無縫の名作を味わう」「語句の使い方が適切で天衣無縫な文章である」「このポエムはまさに天衣無縫の極みと言えるだろう」「などの文中で使われている天衣無縫は、「文章や詩歌が自然で巧みなこと」の意味で使われています。

一方、「天衣無縫な人に魅力を感じる」「座右の銘に天衣無縫を挙げる人もいます」「麻雀の上がり役に天衣無縫があります」「店舗受取ができないか天衣無縫に聞いてみた」「美容室のオーナーは天衣無縫な人だ」などの文中で使われている天衣無縫は、「天真爛漫なこと」の意味で使われています。

天衣無縫とは、天人や天女の衣服には縫い目のあとがないことを表します。転じて、詩文などに余計な修飾がなく、わざとらしくなく完成されていることを意味する言葉です。また、人柄などが純粋で天真爛漫であることの意味もあり、一般的にはこの意味で用いられています。

天衣無縫の由来

天衣無縫という言葉は、中国の古典「霊怪録」に由来します。郭翰という青年は、天下ってきた織女の着衣を見てみると、縫い目がまったくないことに気付きました。その理由を尋ねると、織女は「天人の衣は針と糸を使わずに作るのです」と答えたことにあります。

天衣無縫の対義語

天衣無縫の対義語・反対語としては、非常にきまじめで物堅い人を意味する「石部金吉」、自分の心がけのために自由な動きがとれず苦しい立場になることを意味する「自縄自縛」などがあります。

天衣無縫の類語

天衣無縫の類語・類義語としては、心が清らかで飾り気のないことや邪心のかけらもなく純粋であることを意味する「純粋無垢」、一途で嘘偽りのないことを意味する「純一無雑」、世間慣れしていないで若々しく新鮮にみえることを意味する「初々しい」などがあります。

行雲流水の例文

1.先々のことを案じるよりも、行雲流水のような生き方にしたいです。
2.日々の生活を自然体で過ごしたいので、私の座右の銘は行雲流水です。
3.まさに行雲流水な彼は物事に執着せず、いつも成り行きに任せている。
4.禅宗の修行僧を意味する雲水は、禅語である行雲流水の略です。
5.仏門に入って修行するお坊さんは、行雲流水の境地を求めて全国を行脚します。

この言葉がよく使われる場面としては、ただよう雲と流れる水、自然のままに任せて行動するさまを表現したい時などが挙げられます。

例文1から例文3にあるように、行雲流水という言葉は、他の力にさからわないで成り行きにまかせて行動するさまを表します。例文4と例文5の行雲流水は、禅宗独特の言葉として用いられています。

天衣無縫の例文

1.小説家を目指している友人は、数々の文学作品のあらすじと感想を天衣無縫に綴っています。
2.この本は、ことわざの由来や使い方をわかりやすく解説した天衣無縫の傑作です。
3.私は、穢れの無い純粋な心を意味する天衣無縫を座右の銘としています。
4.叔母は天衣無縫な人柄で、周りを和やかな雰囲気にしてくれます。
5.愛されキャラの彼女は、飾り気がなく天衣無縫な性格の持ち主です。

この言葉がよく使われる場面としては、作品や人柄などがごく自然であり、無邪気な感じで好ましいことを表現したい時などが挙げられます。

例文1と例文2の文中にある「天衣無縫」は、詩や文章などが完全無欠で美しいことの意味で用いられています。例文3から例文5の「天衣無縫」は、人柄が純真で素直で嫌みがないさまの意味で用いられています。

行雲流水と天衣無縫という言葉は、どちらも自然でありのままの様子を表します。どちらの言葉を使うか迷った場合、自然に任せた行動や振る舞いを表現したい時は「行雲流水」を、自然で無邪気な人柄を表現したい時は「天衣無縫」を使うようにしましょう。

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