似た意味を持つ「懺悔」(読み方:ざんげ)と「慚愧」(読み方:ざんき)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。
「懺悔」と「慚愧」という言葉は、どちらも「自分の過ちを悔やむこと」を表しているという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。
懺悔と慚愧の違い
懺悔と慚愧の意味の違い
懺悔と慚愧の違いを分かりやすく言うと、懺悔とは自分の罪を告白して悔い改めることを表し、慚愧とは自分の過ちを深く恥じ入ることを表すという違いです。
懺悔と慚愧の使い方の違い
一つ目の懺悔を使った分かりやすい例としては、「これまで犯した罪を懺悔する」「ルソーの懺悔録を読み解く」「どの教会にも懺悔室はありますか」「ツイッターで過去の過ちを懺悔した」などがあります。
二つ目の慚愧を使った分かりやすい例としては、「責務を果たせず慚愧に堪えない思いです」「失態をさらしてしまい慚愧の至りです」「このような結果を招いてしまし慚愧の念に堪えません」「最善を尽くせず慚愧の極みです」などがあります。
懺悔と慚愧の使い分け方
懺悔と慚愧という言葉は、どちらも自分の罪や過ちを悔やみ反省しているさまを表しますが、意味や使い方には違いがあります。
懺悔とは、もともとは仏教用語が語源であり、自分の犯した罪を後悔し、神仏や他人に告白して許しを請う行為を意味します。現在では、仏教に限らずキリスト教など他の宗教や、日常用語としても広く使用されています。
慚愧とは、自分の行ったことや見苦しさを恥じて、深く反省することを意味します。慚愧も仏教で用いられていた言葉ですが、懺悔という言葉にあるような、神仏や他人に告白するという意味合いはありません。この点が、懺悔と慚愧という言葉の明確な違いになります。
懺悔と慚愧の英語表記の違い
懺悔を英語にすると「confession」「shrift」「repentance」となり、例えば上記の「罪を懺悔する」を英語にすると「confess one’s guilt」となります。
一方、慚愧を英語にすると「humiliation」「shame」となり、例えば上記の「慚愧に堪えない」を英語にすると「be really ashamed of」となります。
懺悔の意味
懺悔とは
懺悔とは、神仏の前で罪悪を告白し悔い改めることを意味しています。
その他にも「キリスト教会一般では、罪を告白し神の許しを請うこと」「自分の罪を悔いて他人に告白すること」の意味も持っています。
懺悔の読み方
懺悔の読み方は、「ざんげ」の他に「さんげ」とも読みます。もともとは「さんげ」と読みましたが、現在では「ざんげ」と読むことが一般的です。ただし、仏教では現在も「さんげ」と読まれることがあります。
表現方法は「懺悔したい」「懺悔をする」「懺悔を聞く」
「懺悔したい」「懺悔をする」「懺悔を聞く」などが、懺悔を使った一般的な言い回しです。
懺悔の使い方
「懺悔をするのに相応しい神社を探しています」「仏教における懺悔のやり方を教えてください」「受戒の法会で懺悔文を唱える」などの文中で使われている懺悔は、「神仏の前で罪悪を告白し悔い改めること」の意味で使われています。
一方、「神父の前で懺悔する」「初めて懺悔室に入りました」の文中で使われている懺悔は「キリスト教で罪を告白し神の許しを請うこと」の意味で、「英語教師は自分の罪を懺悔した」「みんなの前で懺悔する」の文中で使われている懺悔は「自分の罪を告白すること」の意味で使われています。
懺悔の「懺」は訓読みで「くいる」と読み、過ちを悔い改めることや、罪を悔いて告白することを表します。失敗や過ちを残念に思うことを表す「悔」と結び付き、懺悔とは、自分の行いが悪い事だったと気づき、それを悔いて神仏などに告白することを意味します。
四字熟語「発露懺悔」の意味
懺悔を用いた四字熟語には「発露懺悔」(読み方:ほつろざんげ)があります。発露懺悔とは、仏教用語で、犯した罪を隠さずに明らかにして悔いることを意味します。
懺悔の対義語
懺悔の対義語・反対語としては、罪を犯しながら心に恥じないことを意味する「無惨」(読み方:むざん)、悪事を働いても、それを恥じることなく平気でいることを意味する「無慙無愧」(読み方:むざんむき)などがあります。
懺悔の類語
懺悔の類語・類義語としては、 犯した悪事や過ちを悔い改め心を入れ替えることを意味する「改悛」、過去の罪を悔いて神の赦しを請うことを意味する「悔悛」、今までの行いを反省し心を改めることを意味する「改心」、罪を神の前で打ち明け許しを求めることを意味する「告白」などがあります。
慚愧の意味
慚愧とは
慚愧とは、自分の見苦しさや過ちを反省して、心に深く恥じることを意味しています。
慚愧は慙愧とも書く
慚愧は「慙愧」とも書きます。慚愧の「慚」という漢字は「慙」の異体字ですが、「慚愧」と表記されることの方が多くなっています。
慚愧の読み方
慚愧の読み方は「ざんき」です。古くは「ざんぎ」とも読みましたが、今では「ざんき」に統一されています。
表現方法は「慚愧の念」「慚愧の極み」「慚愧する」
「慚愧の念」「慚愧の極み」「慚愧する」などが、慚愧を使った一般的な言い回しです。
慚愧の使い方
慚愧を使った分かりやすい例としては、「私の不徳の致すところであり慚愧の極みでございます」「反省と共に慚愧の念に堪えない」「準備不足であったと慚愧の至りでございます」「慚愧の心のない人は成長できません」などがあります。
その他にも、「慚愧懺悔の大切さは仏典に記されています」「山伏は慚愧懺悔六根清浄と叫びながら修行します」「大変遺憾であり慚愧の念に堪えません」「多大なるご迷惑をおかけし慚愧に堪えない思いです」などがあります。
慚愧とは、自分の行為を反省して深く恥じ入ることを意味する言葉です。日常生活で使用されることはほとんどありませんが、「慚愧に堪えない」などの言い回しで、謝罪会見やニュースなど改まった場面において用いられる表現です。
慚愧の語源
慚愧という言葉の語源は、サンスクリット語が由来となっており、もともとは仏教の世界で使用されていました。「慚」は訓読みで「はじる」と読み、恥ずかしく思うことを表し、「愧」は自分の罪や未熟さを面目なく思うことを表します。
「慚愧に堪えない」の意味
上記の例文にある「慚愧に堪えない」とは、自分の行いについて残念に思い、反省することや恥ずかしく思うことを意味します。多くは謝意を表す際に用いられています。「堪えない」とは感情を抑えることができないことです。誤って「慙愧に耐えない」と書かないように注意しましょう。
四字熟語「慚愧懺悔」の意味
慚愧を用いた四字熟語には「慚愧懺悔」(読み方:ざんきざんげ)があります。慚愧懺悔とは、仏教の言葉で、仏の前で今までの自分のことをいろいろと反省し、その罪を告白して心を改めることを意味します。
慚愧の対義語
慚愧の対義語・反対語としては、戒律を破って心に少しも恥じるところがないことを意味する「無慚」(読み方:むざん)、悪事を働いても恥じないことを意味する「無愧」(読み方:むぎ)などがあります。
慚愧の類語
慚愧の類語・類義語としては、自分のした事の悪かったことを認めて後悔することを意味する「悔悟」、恥ずかしいと思うことを意味する「羞恥」、深く恥じ入ることを意味する「忸怩」(読み方:じくじ)、きびしく反省することを意味する「猛省」などがあります。
懺悔の例文
この言葉がよく使われる場面としては、過去に犯した罪悪を告白してゆるしを請うこと、キリスト教で罪のゆるしを求める行為、過去に犯した罪悪を後悔して人に打ち明けることを表現したい時などが挙げられます。
例文2に関して、懺悔と反省の違いは、懺悔は自分の罪を告白して悔い改めることですが、反省は自分の言動を顧みて考える点にあります。
慚愧の例文
この言葉がよく使われる場面としては、心から恥ずかしく思うこと、恥じ入ることを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、慚愧の慣用表現には「慚愧に堪えない」「慚愧の極み」「慚愧の至り」「慚愧する」「慚愧の念」などがあります。
懺悔と慚愧という言葉は、どちらも「自分の過ちを悔やむこと」を表します。どちらの言葉を使うか迷った場合、自分の罪を告白して悔い改めることを表現したい時は「懺悔」を、自分の過ちを深く恥じ入ることを表現したい時は「慚愧」を使うようにしましょう。