似た意味を持つ「習字」(読み方:しゅうじ)と「書道」(読み方:しょどう)の違いと使い方を分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、このページの使い分け方を参考にしてみて下さい。
「習字」と「書道」という言葉は、どちらも文字を正しく美しく書くことを意味するという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使用される傾向があります。
習字と書道の違い
習字と書道の意味の違い
習字と書道の違いを分かりやすく言うと、習字とは文字の正しい書き方を習い練習することを意味していて、書道とは漢字の造形芸術を意味しているという違いです。
習字と書道の使い分け方
習字と書道はどちらも筆、正式には「毛筆」(読み方:もうひつ)を使って行われるものだというイメージがありますが、実は鉛筆やボールペン、万年筆などの「硬筆」(読み方:こうひつ)を使って行うものも習字と書道の中には含まれます。
習字や書道が毛筆を用いたものだというイメージは「習字の授業」という言葉によって定着したものですが、これは正しくは「毛筆書写の授業」です。特に小学校では漢字を練習する時間が設けられていますが、厳密に言えばそれも立派な「習字」の授業になります。
一つ目の「習字」とは、「毛筆と硬筆を問わず字の正しく美しい書き方を身につけるために練習する」です。毛筆を用いて文字を正しく美しく書く練習をするというのが、一般的な習字のイメージですが、定義としては硬筆も含まれます。
習字は文字を知らない人、使い方や書き方に慣れていない人が、その字を身につけるために行うものです。例えばひらがなの練習や漢字練習ドリルで練習することも立派な習字です。「先生やお手本を真似ることで字を覚えること」を「習字」と言います。
習字という言葉には「正しく美しく書く」という意味合いがあります。なので、電車の中で漢字の単語帳をめくって覚えることは、普通、習字とは呼びません。
二つ目の「書道」とは、「文字の持つ美しさを最大限に引き出したり、文字によって何かを表現する造形芸術」です。
書道は芸術です。文字についての正しく美しい書き方は前提されています。書道は文字を覚えるためのものではありません。またお手本を真似るのではなく「自ら作品を生み出す」という営みです。
書道は文字による表現ですが、小説やエッセイ、俳句や短歌などとは決定的に異なります。小説などは、言葉と言葉の組み合わせによって内容を生み出すことを通じて表現するものですが、書道は「文字に込められた意味を最大限に引き出す」ことを通じて表現します。
書道は、当然ひらがなも用いますが、表現の軸になるのは漢字です。よく知られてるように漢字は「表意文字」(読み方:ひょういもじ)で、その形に意味が込められています。
例えば森という漢字なら、木々が密集しうっそうと茂っていることが形に表されています。しかし英語で森を意味する「Forest」(読み方:フォレスト)は、文字の形は森とは全く関係ありません。
字の形に意味が込められているからこそ、書道という芸術が成立します。書道は「形によって表現」しますが、小説は内容によって、詩は内容と音の響きによって表現します。
習字の意味
習字とは
習字とは、毛筆や硬筆を使って、文字を正しく、そして美しく書けるように、先生やお手本を真似して手を動かしながら練習することを意味しています。
表現方法は「習字を習う」「習字を始める」「習字を書く」
「習字を習う」「習字を始める」「習字を書く」などが、習字を使った一般的な言い回しです。
習字の使い方
一般的なイメージでは、習字とは筆と墨で文字を書くことだと考えられていますが、鉛筆やボールペン、万年筆などの硬筆を用いて字を練習することも事も習字の中に含まれています。漢字ドリルを鉛筆でこなすことも、実は習字に含まれます。
習字という言葉が毛筆を使ったものだというイメージは、学校教育に起因します。「学習指導要領」では小学生には「毛筆書写」が定められています。書写とはお手本を書き写すこと、「手本を真似して覚える」ことです。書写は習字です。
学習指導要領が「毛筆習字」という表現を使うことで、「硬筆を使うのが漢字の練習」で、「毛筆を使うのが習字」というようなイメージ定着してしまっています。
ですが通信教育の折込チラシで「ペン習字」や「ボールペン習字」という言葉を見かけるように、習字とは毛筆だけに限定される言葉ではありません。どのような道具を使っても、文字を覚えるために練習することは習字です。
習字は「手を動かして練習する」という意味合いを持つ言葉なので、漢字の単語帳を眺めて覚えることは、普通は習字とは言いません。
なお、習字に字の深い意味を理解するという意味合いがあるかどうかは微妙なところです。美しく正しく書くことは習字の目標として明らかですが、字に対する理解がどこまで目指されているかは学習者に委ねられています。
習字の対義語
習字の対義語・反対語としては、文字が整っていなく汚いことを意味する「悪筆」、筆跡が乱雑なことを意味する「乱筆」、一本一本の線に力が入っていない下手な字を意味する「ミミズのような字」などがあります。
習字の類語
習字の類語・類義語としては、習字や学問、技芸などの稽古を意味する「手習い」、墨の筆跡、転じて習字や書道を意味する「入木」、字が上手いことを意味する「能筆」「能書」、などがあります。
習字の習の字を使った別の言葉としては、学んで覚えることを意味する「学習」、実際にやることで学ぶことを意味する「演習」、以前に学んだことを意味する「既習」、学習して深く身につけることを意味する「習熟」などがあります。
習字の字の字を使った別の言葉としては、本来の字の使い方を無視して用いられた字を意味する「当て字/宛字」、機器を使って紙に文字を打ち出すことを意味する「印字」、表意文字を意味する「意字」などがあります。
書道の意味
書道とは
書道とは、漢字の造形芸術を意味しています。よく知られているように、漢字は表意文字で、形が意味を持っています。その意味を引き出し、字を芸術に昇華させるのが、書道という営みです。
表現方法は「書道を習う」「書道を始める」「書道を書く」
「書道を習う」「書道を始める」「書道を書く」などが、書道を使った一般的な言い回しです。
書道の使い方
書道は文字を学ぶことではなく、文字を正しく美しく書けることは前提条件です。習字は先生やお手本を真似て字を身につけることに主眼がありますが、書道は、もちろん始めは先生の下につきますが、自分で作品を生み出す営みで、模倣はしません。
さらに文字への深い理解がなければ、漢字から芸術的意味を引き出すことは出来ません。それに対して、習字は字義を深く理解することは必ずしも目的ではなく、学習者各人に任せています。
書道は小説などの言語芸術とは異なり、造形芸術です。書道は漢字が表意文字であることを活かして「文字に込められた意味を最大限に引き出す」ことで表現します。書道は「形による表現」であり、内容によって表現する小説や詩などの言語芸術とは異なります。
書道は真似ることを目的とするものではありません。しかし「臨書」(読み方:りんしょ)といって、古典を手本にして伝統的な技法を学ぶことはあります。
臨書には、手本を忠実に書き写す「形臨」、手本から作者の意図をくみ取る「意臨」、記憶を頼りに再現しようとする「排臨」の三つの種類があります。
書道の類語
書道の類語・類義語としては、広告などに載せるため、文字に視覚的効果を持たせたデザインを施すことを意味する「レタリング」などがあります。
書道の書の字を使った別の言葉としては、文章や絵など印字した紙を閉じ合わせ、表紙をつけたものを意味する「書籍」、文字で書き記されたものの総称を意味する「文書」、忘れないためのメモを意味する「覚書」などがあります。
書道の道の字を使った別の言葉としては、草花などを花器に美しく挿し、それを鑑賞する技芸を意味する「華道」、弓で矢を射り、的を打ち抜く武道を意味する「弓道」、真理に到達するために修行することを意味する「求道」などがあります。
習字の例文
この言葉がよく使われる場面としては、毛筆で文字を正しく、美しく書く練習を表現したい時などが挙げられます。習字には毛筆だけではなく、鉛筆やボールペンなどの硬筆で書く練習も含まれますが、一般的には毛筆と墨を使って書くことが習字と言われています。
定義としては、漢字を書いて覚えることは全て習字です。ただし、鉛筆で書くことを習字とは考えない人が多いので、何でもかんでも習字と言うと、誤解される可能性もあります。
なので習字という言葉の使用は、毛筆のものを表現する時だけにするのが無難です。
書道の例文
この言葉がよく使われる場面としては、漢字の形による造形芸術を表現したい時などが挙げられます。書道と似たものに、「レタリング」があります。広告などで目立つように、文字に視覚的効果を与えて図像化することをレタリングと言います。
レタリングは視覚的効果を狙ったものですが、書道の作品は視覚的効果だけではなく、漢字の精神的なものを浮かび上がらせようとするものです。単に形がデザインされているだけの文字のことを書道の作品ということは出来ません。