似た意味を持つ「天は二物を与えず」(読み方:てんはにぶつをあたえず)と「弁慶の泣き所」(読み方:べんけいのなきどころ)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。
「天は二物を与えず」と「弁慶の泣き所」という言葉は、どちらも誰にでも欠点はあることを意味しているという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。
「天は二物を与えず」と「弁慶の泣き所」の違い
「天は二物を与えず」と「弁慶の泣き所」の意味の違い
「天は二物を与えず」と「弁慶の泣き所」の違いを分かりやすく言うと、「天は二物を与えず」とは天は一人の人間にそれほど多くの長所を与えないこと、「弁慶の泣き所」とは強い者の最も弱い場所のことを表現したい時という違いです。
「天は二物を与えず」と「弁慶の泣き所」の使い方の違い
一つ目の「天は二物を与えず」を使った分かりやすい例としては、「彼は人柄も良くみんなから人気だが運動が全くできません。まさに天は二物を与えずだろう」「天は二物を与えずというように、完璧な人間などいないだろう」などがあります。
二つ目の「弁慶の泣き所」を使った分かりやすい例としては、「頑固な専務の弁慶の泣き所は一人娘だったらしい」「急いで走っていたら弁慶の泣き所ぶつけてしまいとても痛いです」などがあります。
「天は二物を与えず」と「弁慶の泣き所」の使い分け方
「天は二物を与えず」と「弁慶の泣き所」は誰にでも欠点はあることを表す類語とは言えますが、意味は少し異なっているので間違えないように注意しましょう。
「天は二物を与えず」は天は一人の人間にそれほど多くの長所を与えないことを意味しており、完璧な人はいないというニュアンスで使う言葉です。
一方、「弁慶の泣き所」は強い者の最も弱い場所のことを意味しており、強い人にも弱点はあるというニュアンスで使う言葉になります。
「天は二物を与えず」と「弁慶の泣き所」の英語表記の違い
「天は二物を与えず」を英語にすると「God does not give two gifts」「God doesn’t give with both hands」となります。一方、「弁慶の泣き所」は日本で生まれた言葉なので直訳した英語はありませんが、近い表現として弱点を意味する「weak point」があります。
「天は二物を与えず」の意味
「天は二物を与えず」とは
「天は二物を与えず」とは、天は一人の人間にそれほど多くの長所を与えないことを意味しています。
「天は二物を与えず」の読み方
「天は二物を与えず」の読み方は「てんはにぶつをあたえず」です。誤って「てんはにものをあたえず」などと読まないようにしましょう。
「天は二物を与えず」の使い方
「天は二物を与えず」を使った分かりやすい例としては、「天は二物を与えずというように天才の彼にも欠点はあります」「彼は打撃の腕は一流だが守備は三流である。まさに天は二物を与えずと言えるだろう」「天は二物を与えずというが彼女は美女である上に歌がとても上手だ」などがあります。
「天は二物を与えず」は神のことを意味する「天」に、二つのものを意味する「二物」と相手のためになるものを提供しないことを意味する「与えず」が合わさり、天は一人の人間にそれほど多くの長所を与えないことの意味で使われていることわざです。
分かりやすく言うならば、一人の人間にいつもの才能や長所はない、つまり誰にでも欠点はあるということを表す言葉になります。
「天は二物を与えず」の由来や語源は判明していません。中国の古典やキリスト教の聖書などにも記載されておらず、出典が不明な言葉となっています。
「天は二物を与えず」は主に二通りの使い方があります。
一つ目は、「彼はドリブルは一流だがディフェンスは三流である。まさに天は二物を与えずだろう」「天は二物を与えずというように彼女はとても美人だが味音痴で料理が全くできません」などように、誰にでも欠点があることを表現する使い方です。
二つ目は、「天は二物を与えずというが、イケメン弁護士として有名な彼には当てはまらないだろう」「ピッチャーでありながらホームランを量産している彼には、天は二物を与えずという言葉が当てはまらないだろう」などのように、人を褒める使い方です。
「天は二物を与えず」の対義語
「天は二物を与えず」の対義語・反対語としては、知識が豊かで多くの分野の才能に恵まれていることを意味する「博学多才」、優れた才能と美しい容姿の両方をもっていることを意味する「才色兼備」などがあります。
「天は二物を与えず」の類語
「天は二物を与えず」の類語・類義語としては、一人でいくつも優れたものを兼ね備えるのは難しいことを意味する「角ある獣に上歯なし」(読み方:つのあるけものにうわばなし)があります。
「弁慶の泣き所」の意味
「弁慶の泣き所」とは
「弁慶の泣き所」とは、強い者の最も弱い場所のことを意味しています。
「弁慶の泣き所」の読み方
「弁慶の泣き所」の読み方は「べんけいのなきどころ」です。誤って「べんけいのなきところ」「べんけいのなきしょ」などと読まないようにしましょう。
「弁慶の泣き所」の使い方
「弁慶の泣き所」を使った分かりやすい例としては、「仕事ができる彼の弁慶の泣き所は奥さんらしい」「彼は博学多才だが太っているのが弁慶の泣き所です」「天才と言われている彼女にも弁慶の泣き所があるはずだ」などがあります。
「弁慶の泣き所」は強い者の最も弱い場所のことを意味することわざです。また、すねの前面のことを表わす「向う脛」の意味も持っています。
「弁慶の泣き所」は心理的な弱点と物理的な弱点どちらでも使うことができるというのが特徴です。
例えば、「社長は厳しいことで有名だが、一人娘にはとても弱く弁慶の泣き所と言えるだろう」「強面の兄の弁慶の泣き所は犬です。道端ですれ違うといつも逃げるようにしている」などのように使う場合は心理的な弱点になります。
一方、「弁慶の泣き所を思いっきりぶつけてしまって歩くことができない」「弁慶の泣き所をぶつけたが痛みを我慢して立ち上がった」などのように使う場合は、物理的な弱点のことを指しています。
「弁慶の泣き所」の由来
「弁慶の泣き所」の由来は武蔵坊弁慶(読み方:むさしぼうべんけい)の逸話です。弁慶は元々、比叡山の僧であったが武術を好んでおり、五条の大橋で義経と出会って以来、郎党として彼に最後まで仕えたとされている人物です。
弁慶は義経に仕える怪力無双の荒法師として名高かったので、強者の代名詞としてもよく使用されています。しかし、そんな弁慶にも弱点が存在しており、それが向う脛です。強者と言われている弁慶でも向う脛を叩かれると痛がって泣いてしまうと言われています。
このことが転じて、強い者の最も弱い場所のことを「弁慶の泣き所」と言うようになりました。
「弁慶の泣き所」の類語
「弁慶の泣き所」の類語・類義語としては、弱い所や劣っている点のことを意味する「弱み」、十分でない点のことを意味する「弱点」、不十分な所のことを意味する「欠点」、一番の弱点のことを意味する「アキレス腱」などがあります。
「天は二物を与えず」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、天は一人の人間にそれほど多くの長所を与えないことを表現したい時などが挙げられます。
例文3や例文5のように、「天は二物を与えず」は褒め言葉としても使うことができます。
「弁慶の泣き所」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、強い者の最も弱い場所のことを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、「弁慶の泣き所」は物理的に心理的にも使うことができる言葉です。
「天は二物を与えず」と「弁慶の泣き所」はどちらも誰にでも欠点はあることを表します。
どちらの言葉を使うか迷った場合、天は一人の人間にそれほど多くの長所を与えないことを表現したい時は「天は二物を与えず」、強い者の最も弱い場所のことを表現したい時は「弁慶の泣き所」を使うと覚えておきましょう。