似た意味を持つ「察するに余りある」(読み方:さっするにあまりある)と「想像するに余りある」(読み方:そうぞうするにあまりある)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。
「察するに余りある」と「想像するに余りある」という言葉は、どちらも想像できないほどのことを意味しているという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。
「察するに余りある」と「想像するに余りある」の違い
「察するに余りある」と「想像するに余りある」の意味の違い
「察するに余りある」と「想像するに余りある」の違いを分かりやすく言うと、「察するに余りある」の方が「想像するに余りある」よりも一般的に使われているという違いです。
「察するに余りある」と「想像するに余りある」の使い方の違い
一つ目の「察するに余りある」を使った分かりやすい例としては、「彼がどれだけ失望しているか察するに余りある」「被害者遺族の無念は察するに余りある」「彼女の悲しみは察するに余りある」などがあります。
二つ目の「想像するに余りある」を使った分かりやすい例としては、「彼女の絶望は想像するに余りある」「関東大震災に遭われた方々の心境は想像するに余りある」「受験に失敗した彼の気持ちは想像するに余りある」などがあります。
「察するに余りある」と「想像するに余りある」の使い分け方
「察するに余りある」と「想像するに余りある」はどちらも想像できないほどのことを意味しており、大きな違いはありません。あえて違いを挙げるならば、「察するに余りある」の方が「想像するに余りある」よりも一般的に使われているという点です。
ただし、どちらの言葉も意味に差はないので、好きな方を使って問題ないと覚えておきましょう。
「察するに余りある」と「想像するに余りある」の英語表記の違い
「察するに余りある」も「想像するに余りある」も英語にすると「can just imagine how」となり、例えば上記の「彼女の悲しみは察するに余りある」を英語にすると「I can just imagine how sad she must be」となります。
「察するに余りある」の意味
「察するに余りある」とは
「察するに余りある」とは、相手の境遇が想像の範囲を超えていることを意味しています。
表現方法は「心中察するに余りある」「胸中察するに余りある」「心痛察するに余りある」
「心中察するに余りある」「胸中察するに余りある」「心痛察するに余りある」などが、「察するに余りある」を使った一般的な言い回しになります。
「察するに余りある」の使い方
「察するに余りある」を使った分かりやすい例としては、「彼女に振られたあなたの悲しみは胸中察するに余りある」「被害に遭われた方々の気持ちは察するに余りある」「彼らの絶望は察するに余りある」などがあります。
「察するに余りある」は他人の気持ちをおしはかって同情することを意味する「察する」に、どんなに○○しても十分ではないことを意味する「余りある」が合わさり、相手の境遇が想像の範囲を超えていることを意味する言葉です。
「察するに余りある」は、当事者ではない自分が想像し推察できる範囲では及ばない、境遇や状況がひどい場合に使われている言葉になります。そのため、基本的には相手の怒り、悲しさ、辛さなどのマイナスな感情に対して使うのが一般的です。
ただし、「彼は息子の結婚報告を聞いて喜びと安堵は察するに余りある」のように、楽しい子や嬉しいことなどのプラスの感情に対して使うこともできます。
「察するに余りある」はビジネスシーンにおいても使うことができる言葉ですが、「察するに余りある」自体は敬語表現ではないので、前後の文章に敬語表現を使うようにしましょう。
「察するに余りある」の類語
「察するに余りある」の類語・類義語としては、あなたの気持ちは分かりますよと寄り添うことを意味する「心中お察しします」、強く共感できることを意味する「痛いほど分かる」などがあります。
「想像するに余りある」の意味
「想像するに余りある」とは
「想像するに余りある」とは、想像できないほどのことを意味しています。
「想像するに余りある」の使い方
「想像するに余りある」を使った分かりやすい例としては、「被害者の悲しみは想像するに余りある」「息子の合格を聞いた彼の安堵と喜びは想像するに余りある」「被害に遭われた方の悲しみは想像するに余りある」などがあります。
「想像するに余りある」は実際には経験していない事柄などを推し量ることを意味する「想像」に、どんなに○○しても十分ではないことを意味する「余りある」が合わさり、相手の境遇が想像の範囲を超えていることを意味する言葉です。
「想像するに余りある」は、当事者ではない自分が想像し推察できる範囲では及ばない、境遇や状況がひどい場合に使われている言葉になります。そのため、基本的には相手の怒り、悲しさ、辛さなどのマイナスな感情に対して使うのが一般的です。
ただし、「彼女は孫の結婚報告を聞いて喜びと安堵は想像するに余りある」のように、楽しい子や嬉しいことなどのプラスの感情に対して使うこともできます。
「想像するに余りある」はビジネスシーンにおいても使うことができる言葉ですが、「想像するに余りある」自体は敬語表現ではないので、前後の文章に敬語表現を使うようにしましょう。
「想像するに余りある」の類語
「想像するに余りある」の類語・類義語としては、あなたの気持ちは分かりますよと寄り添うことを意味する「胸中お察しします」があります。
「察するに余りある」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、相手の境遇が想像の範囲を超えていることを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、「察するに余りある」はプラスとマイナスどちらのイメージでも使うことができる言葉です。
「想像するに余りある」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、想像できないほどのことを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、「想像するに余りある」はプラスとマイナスどちらのイメージでも使うことができる言葉です。
「察するに余りある」と「想像するに余りある」はどちらも想像できないほどのことを表します。どちらの言葉を使うか迷った場合、意味に大きな違いはないので好きな方を使って問題ないと覚えておきましょう。