似た意味を持つ「迂闊」(読み方:うかつ)と「不覚」(読み方:ふかく)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。
「迂闊」と「不覚」という言葉は、どちらも「油断して失敗すること」を表しているという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。
迂闊と不覚の違い
迂闊と不覚の意味の違い
迂闊と不覚の違いを分かりやすく言うと、迂闊とは油断することを表し、不覚とは油断することだけでなく思わずそうなることも表すという違いです。
迂闊と不覚の使い方の違い
一つ目の迂闊を使った分かりやすい例としては、「迂闊にも財布を家に忘れてしまった」「自分の迂闊さに後悔しています」「職場にいる迂闊な人に困っています」「今カレの前で元カレの話をしたのは迂闊でした」などがあります。
二つ目の不覚を使った分かりやすい例としては、「若手選手にうっかり不覚を取る」「我が人生一生の不覚と言える出来事でした」「アニメのキャラに不覚にもキュンときた」「不覚にも子どもの前で泣いてしまった」などがあります。
迂闊と不覚の使い分け方
迂闊と不覚という言葉は、どちらも注意を怠って失敗を招いたことを意味します。この意味で使われている上記例文の「迂闊にも忘れてしまった」の「迂闊」は、「不覚」に置き換えて使うことができます。
さらに不覚という言葉は、「思わず知らずそうなること」「覚悟がしっかり決まっていないこと」「愚かなこと」の意味も持っています。この意味は「迂闊」にはないため、「不覚にもキュンときた」「不覚にも泣いてしまった」の不覚は、迂闊に置き換えることができません。
二つの言葉を比べると、「不覚」という言葉は「迂闊」よりも多くの意味を持つため、幅広く使える言葉だと言えるでしょう。
迂闊と不覚の英語表記の違い
迂闊を英語にすると「carelessness」「thoughtless」「stupid」となり、例えば上記の「迂闊にも」を英語にすると「carelessly」となります。
一方、不覚を英語にすると「defeat」「blunder」「unconsciousness」となり、例えば上記の「不覚を取る」を英語にすると「suffer a defeat」となります。
迂闊の意味
迂闊とは
迂闊とは、うっかりしていて心の行き届かないことを意味しています。
その他にも、「回り遠くて実情にそぐわないこと、実際の役に立たないこと」の意味も持っています。
迂闊の読み方
迂闊の読み方は「うかつ」です。誤って「かんかつ」「くかつ」などと読まないようにしましょう。
表現方法は「迂闊な人」「迂闊に言えない」「迂闊にも」
「迂闊な人」「迂闊に言えない」「迂闊にも」などが、迂闊を使った一般的な言い回しです。
迂闊の使い方
「野生動物に迂闊に触ることは大怪我につながる」「英語の先生は迂闊な人です」「迂闊な人でも漫画家になれますか」「彼はイケメンだけど迂闊で残念な性格です」などの文中で使われている迂闊は、「心の行き届かないこと」の意味で使われています。
一方、「迂闊な規制やルールは見直すべきです」「介護保険制度のずさんさと迂闊さに腹が立つ」「数学は迂闊であると考えている人にお勧めの本です」などの文中で使われている迂闊は、「実情にそぐわないこと、役に立たないこと」の意味で使われています
迂闊とは、二つの意味を持つ言葉ですが、多くは「心の行き届かないこと」の意味で使用されています。「実情にそぐわないこと」の意味で用いられることはあまりありません。迂闊の「迂」は遠回りすることや世事に疎いこと、「闊」は回り遠いことや疎いことを表す漢字です。
「迂闊者」の意味
迂闊を用いた日本語には「迂闊者」(読み方:うかつもの)があります。迂闊者とは、ぼんやりしている人や不注意な人を意味し、「まぬけ者」「うっかり者」と言い換えられる言葉です。「迂闊者」はやや古風な言い方のため、「迂闊な人」と表現されるようになっています。
迂闊の対義語
迂闊の対義語・反対語としては、細かいところまで心を配ることを意味する「細心」、細かい点にまでよく気をつけて物事をすることを意味する「念入り」などがあります。
迂闊の類語
迂闊の類語・類義語としては、自分のすることについての自覚がないことを意味する「無自覚」、手続きや仕事の上で不足や欠点があることを意味する「手落ち」、注意や用心の足りないことを意味する「不用意」などがあります。
不覚の意味
不覚とは
不覚とは、心や意識がしっかりしていないこと、思わず知らずそうなることを意味しています。
その他にも「油断して失敗すること」「覚悟がしっかり決まっていないこと」「愚かなこと」の意味も持っています。
表現方法は「一生の不覚」「なんたる不覚」「不覚だった」
「一生の不覚」「なんたる不覚」「不覚だった」などが、不覚を使った一般的な言い回しです。
不覚の使い方
「年下の男の子に不覚にもキュンときた」「不覚にも笑ってしまった」の文中で使われている不覚は「思わず知らずそうなること」の意味で、「不覚にも体調を崩してしまった」「写真を撮り忘れたは不覚でした」の文中で使われている不覚は「油断して失敗すること」の意味で使われています。
一方、「上手くいかないのは不覚であるからだ」の文中で使われている不覚は「覚悟がしっかり決まっていないこと」の意味で、「我ながら不覚の至りであった」「予選ブロックで不覚を取る」などの文中で使われている不覚は、「愚かなこと」の意味で使われています。
不覚とは、複数の意味を持ち、それぞれの意味で使用されているため、文脈により意味を捉える必要がある言葉です。不覚の「不」は打ち消しの接頭語、「覚」は訓読みで「おぼえる」「さとる」と読み、今までわからなかった道理や意味に気付くことを表す漢字です。
不覚の由来
不覚の語源は、仏教に由来します。仏教用語としての「不覚」は、仏の智恵に暗いこと、人生の真理に対する根源的な無知を意味します。そこから意味が転じ、現在の意味で広く一般に用いられるようになりました。
「前後不覚」の意味
不覚を用いた日本語には「前後不覚」があります。前後不覚とは、意識が朦朧として正常な判断ができなくなること、物事のあとさきが分からなくなるほど正常な意識を失うことを意味する四字熟語です。
不覚の対義語
不覚の対義語・反対語としては、自分の置かれている状態や能力をはっきりと知ることを意味する「自覚」などがあります。
不覚の類語
不覚の類語・類義語としては、思いがけないことや深く考えないことを意味する「不慮」、自分のしていることに気づいていないことを意味する「無意識」、予測できないことや思いがけないことを意味する「不測」などがあります。
迂闊の例文
この言葉がよく使われる場面としては、注意が足りずぼんやりしていること、物事の事情に疎いことを表現したい時などが挙げられます。
例文1から例文4にある「迂闊」は、「注意が足りずぼんやりしていること」の意味で用いられています。例文5の「迂闊」は、「物事の事情に疎いこと」の意味で用いられています。迂闊という言葉は、「注意が足りずぼんやりしていること」の意味で用いられることが多くなっています。
不覚の例文
この言葉がよく使われる場面としては、正体を失うこと、油断して失敗を招くこと、思わず知らずそうなってしまうこと、臆病なことや卑怯なことを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、不覚の慣用的な言い回には「不覚の至り」「なんたる不覚」「不覚にも」「不覚を取る」などがあります。「不覚にも」とは、思わずそうなってしまったさまを意味します。「なんたる不覚」とは、油断して失敗したことを悔やんでいる様子を意味します。
迂闊と不覚という言葉は、どちらも「油断して失敗すること」を表します。さらに「不覚」には、「思わず知らずそうなってしまうこと」の意味もあることを覚えておきましょう。