似た意味を持つ「寡聞にして存じません」(読み方:かぶんにしてぞんじません)と「寡聞にして知らない」(読み方:かぶんにしてしらない)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。
「寡聞にして存じません」と「寡聞にして知らない」という言葉は、どちらも経験や知識が乏しいので分からないことを意味しているという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。
「寡聞にして存じません」と「寡聞にして知らない」の違い
「寡聞にして存じません」と「寡聞にして知らない」の意味の違い
「寡聞にして存じません」と「寡聞にして知らない」の違いを分かりやすく言うと、「寡聞にして存じません」は目上の人に使える、「寡聞にして知らない」は目上の人に使えないという違いです。
「寡聞にして存じません」と「寡聞にして知らない」の使い方の違い
一つ目の「寡聞にして存じません」を使った分かりやすい例としては、「先生がお辞めになられていたことは寡聞にして存じませんでした」「彼女のペンネームは寡聞にして存じません」「このような新戦術があったことは寡聞にして存じません」などがあります。
二つ目の「寡聞にして知らない」を使った分かりやすい例としては、「彼の作品は寡聞にして知らない」「そのニュースに関しては寡聞にして知らない」「簡単にお金を稼ぐ方法があるなんて寡聞にして知らない」などがあります。
「寡聞にして存じません」と「寡聞にして知らない」の使い分け方
「寡聞にして存じません」と「寡聞にして知らない」はどちらも経験や知識が乏しいので分からないことを意味している言葉ですが、使い方に少し違いがあるので注意が必要です。
「寡聞して存じません」は知らないの謙譲である「存じません」を使用した敬語表現なので目上の人に対して使うことができます。
一方、「寡聞にして知らない」は敬語表現を使用していないので、目上の人に対して使うことができないというのが違いです。
「寡聞にして存じません」と「寡聞にして知らない」の英語表記の違い
「寡聞にして存じません」も「寡聞にして知らない」も英語にすると「I don’t know for certain」「I know nothing at all about it」などとなります。
「寡聞にして存じません」の意味
「寡聞にして存じません」とは
「寡聞にして存じません」とは、経験や知識が乏しいので分からないことを意味しています。
「寡聞にして存じません」の使い方
「寡聞にして存じません」を使った分かりやすい例としては、「彼が東大出身だったことを寡聞にして存じませんでした」「その事実を寡聞にして存じません」「神に会ったことがあるという人を寡聞にして存じません」などがあります。
「寡聞にして存じません」は見聞が狭く浅いことを意味する「寡聞」に、知らないの謙譲語である「存じません」が合わさり、経験や知識が乏しいので分からないことの意味で使われている言葉です。
「寡聞にして存じません」は簡単に言うならば知らなかったということをより丁寧にした表現で、「知りませんでした」よりも「寡聞にして存じません」と言った方が相手に丁寧な印象を与えることができると覚えておきましょう。
「寡聞にして存じません」は目上の人に使える
「寡聞にして存じません」はビジネスシーンでも使用することができます。また、「存じません」という謙譲語を使用しているので、上司や取引先などの目上の人に対しても使うことが可能です。
謙譲語とは、自分の行動を相手よりも下の立場として表現することにより相手への敬意を示すことを意味しています。
「寡聞にして存じません」は皮肉としても使う
「寡聞にして存じません」は本来は自分の知識が乏しいことを謙遜として使う言葉ですが、近年では皮肉として使うことも増えてきています。
ではどういう場合に使うのかというと、ありえないことや絶対分からないことに対して、くだらないや馬鹿げているなどのような皮肉として使うのです。
例えば、「地球以外にも生命が存在している星があるなんて、寡聞にして存じません」「毎日お祈りするだけでお金が増えるなんて寡聞にして存じません」などのように、宇宙人の存在や祈るだけでお金が増えるなんてありえないので、強い皮肉として使います。
「寡聞にして存じません」の類語
「寡聞にして存じません」の類語・類義語としては、世間知らずなことを謙遜して言うことを意味する「寡聞少見」、学問や知識ともに乏しく経験が少ないことを謙遜して言うことを意味する「浅学寡聞」などがあります。
「寡聞にして知らない」の意味
「寡聞にして知らない」とは
「寡聞にして知らない」とは、経験や知識が乏しいので分からないことを意味しています。
「寡聞にして知らない」の使い方
「寡聞にして知らない」を使った分かりやすい例としては、「彼女が以前芸能人だったのを寡聞にして知らない」「そのようなものが存在することを寡聞にして知らない」「彼の武勇伝に関しては寡聞にして知らない」などがあります。
「寡聞にして知らない」は「寡聞にして知らない」は見聞が狭く浅いことを意味する「寡聞」に、分からないことを意味する「知らない」が合わさり、、経験や知識が乏しいので分からないことの意味で使われている言葉です。
「寡聞にして知らない」は目上の人に使えない
「寡聞にして知らない」はビジネスシーンでも使うことができる言葉ですが、敬語表現を伴っていないので、上司や取引先などの目上の人に対しては使うことはできないと覚えておきましょう。
「寡聞にして知らない」は皮肉としても使う
「寡聞にして知らない」は本来は自分の知識が乏しいことを謙遜として使う言葉ですが、近年では皮肉として使うことも増えてきています。
ではどういう場合に使うのかというと、ありえないことや絶対分からないことに対して、くだらないや馬鹿げているなどのような皮肉として使うのです。
例えば、「未来へ行ける方法があるなんて寡聞にして知らない」「神様と話すことができるなんて寡聞にして知らない」などのように、未来へ行ったり神様と話すなんてありえないので、強い皮肉として使います。
「寡聞にして知らない」の類語
「寡聞にして知らない」の類語・類義語としては、見聞が狭く学識が深くないことを意味する「寡聞浅学」があります。
「寡聞にして存じません」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、経験や知識が乏しいので分からないことを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、「寡聞にして存じません」は目上の人に対しても使うことができる言葉です。
「寡聞にして知らない」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、経験や知識が乏しいので分からないことを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、「寡聞にして知らない」は目上の人に対して使うことができない言葉です。
「寡聞にして存じません」と「寡聞にして知らない」はどちらも経験や知識が乏しいので分からないことを表します。どちらの言葉を使うか迷った場合、目上の人に対して使えるのが「寡聞にして存じません」、目上の人に使えないのが「寡聞にして知らない」と覚えておきましょう。