似た意味を持つ「果報は寝て待て」(読み方:かほうはねてまて)と「人事を尽くして天命を待つ」(読み方:じんじをつくしててんめいをまつ)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。
「果報は寝て待て」と「人事を尽くして天命を待つ」という言葉は、どちらも焦らないで待つことを意味しているという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。
「果報は寝て待て」と「人事を尽くして天命を待つ」の違い
「果報は寝て待て」と「人事を尽くして天命を待つ」の意味の違い
「果報は寝て待て」と「人事を尽くして天命を待つ」の違いを分かりやすく言うと、「果報は寝て待て」よりも、「人事を尽くして天命を待つ」の方が全力で努力したというニュアンスが強いという違いです。
「果報は寝て待て」と「人事を尽くして天命を待つ」の使い方の違い
一つ目の「果報は寝て待て」を使った分かりやすい例としては、「私の座右の銘は果報は寝て待てです」「果報は寝て待てと言うように、あとは焦らず待つだけだ」「若者よ果報は寝て待て」などがあります。
二つ目の「人事を尽くして天命を待つ」を使った分かりやすい例としては、「あなたは最大限の努力をしたのであとは人事を尽くして天命を待つだけです」「やれることは全てやったので人事を尽くして天命を待つ心境です」などがあります。
「果報は寝て待て」と「人事を尽くして天命を待つ」の使い分け方
「果報は寝て待て」と「人事を尽くして天命を待つ」はどちらも焦らないで待つことを表しており大きな違いはありません。あえて違いを挙げるならば、「果報は寝て待て」よりも、「人事を尽くして天命を待つ」の方が全力で努力したというニュアンスが強いという点です。
「果報は寝て待て」と「人事を尽くして天命を待つ」の英語表記の違い
「果報は寝て待て」を英語にすると「Good things come to those who wait」となります。一方、「人事を尽くして天命を待つ」を英語にすると「God helps those who help themselves」となります。
「果報は寝て待て」の意味
「果報は寝て待て」とは
「果報は寝て待て」とは、幸福の訪れは人間の力ではどうすることもできないので焦らずに時機を待つことを意味しています。
「果報は寝て待て」の使い方
「果報は寝て待て」を使った分かりやすい例としては、「やるべきことをやったのだからあとは果報は寝て待てだ」「果報は寝て待てという言葉があるが、まさにその通りだと思います」「果報は寝て待てということわざを信じています」などがあります。
「果報は寝て待て」は幸福の訪れは人間の力ではどうすることもできないので焦らずに時機を待つことを意味することわざです。
「果報は寝て待て」という言葉は「寝て待て」という表現があるため、ただ寝てるだけで幸運がやってくると勘違いされやすいですが、何も努力しなくても良いことが起こるという意味ではありません。
多少の努力は必要であり、努力した結果、焦らず時機を待つというニュアンスで使う言葉と覚えておきましょう。
「果報は寝て待て」の由来
「果報は寝て待て」の由来は仏教の教えです。「果報」とは仏教用語で前世での行いの結果として現世で受ける報いのことを意味しており、「果」善いことをしたら良い結果となること、「報」は善行や悪行の結果として得ることです。
そのため、従来は良い結果も悪い結果も前世での行いがこの世に返ってくるという「因果応報」と同じ使い方をしていたのですが、時代が経つにつれて悪い意味がなくなり、良い結果のみを表現にするようになったのが「果報は寝て待て」になります。
「果報は寝て待て」の類語
「果報は寝て待て」の類語・類義語としては、待っていれば、海の静かないい日和がやってくることを意味する「待てば海路の日和あり」があります。
「人事を尽くして天命を待つ」の意味
「人事を尽くして天命を待つ」とは
「人事を尽くして天命を待つ」とは、力のあらん限りを尽くしてあとは静かに天命に任せることを意味しています。
「人事を尽くして天命を待つ」の使い方
「人事を尽くして天命を待つ」を使った分かりやすい例としては、「私の座右の銘は人事を尽くして天命を待つです」「面接の対策は最善を尽くしたのだから、今は人事を尽くして天命を待つことにしよう」「生徒達に人事を尽くして天命を待つという言葉を教えてあげました」などがあります。
「人事を尽くして天命を待つ」は力のあらん限りを尽くしてあとは静かに天命に任せること、つまり、全力を尽くしたのであればあとは神様に任せて、結果はどうであれ後悔することはないだろうというニュアンスで使う言葉です。
また、「人事を尽くして天命を待つ」は自分の気持ちを鎮めたり、励ましたい時に使用します。
「人事を尽くして天命を待つ」の由来
「人事を尽くして天命を待つ」は中国の『読史管見』(読み方:とくしかんけん)という南宋時代の初期に書かれた古典文書に記されていた考え方が由来になります。
『読史管見』とは、儒学という宗教の考え方を胡寅という学者がまとめたもので、現代でも多くの研究に使われている文書です。その中に「人事を尽くして天命を待つ」ということわざがあり、これが日本でも使われるようになりました。
「人事を尽くして天命を待つ」の類語
「人事を尽くして天命を待つ」の類語・類義語としては、天は他人に頼らずに一人で努力する者を助けて幸福を与えることを意味する「天は自ら助くる者を助く」、上手くいくかどうかは天の意志に任せることを意味する「運を天に任せる」などがあります。
「果報は寝て待て」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、幸福の訪れは人間の力ではどうすることもできないので焦らずに時機を待つことを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、「果報は寝て待て」は良い結果を出すために多少は努力したので、あとは焦らないで待つというニュアンスで使う言葉になります。
「人事を尽くして天命を待つ」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、力のあらん限りを尽くしてあとは静かに天命に任せることを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、「人事を尽くして天命を待つ」は良い結果を出すためにしっかり努力したので、あとは焦らないで待つというニュアンスで使う言葉になります。
「果報は寝て待て」と「人事を尽くして天命を待つ」はどちらも焦らないで待つことを表します。どちらの言葉を使うか迷った場合、「果報は寝て待て」よりも、「人事を尽くして天命を待つ」の方が全力で努力したというニュアンスが強いと覚えておきましょう。