似た意味を持つ「渡りに船」(読み方:わたりにふね)と「地獄で仏」(読み方:じごくでほとけ)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。
「渡りに船」と「地獄で仏」という言葉は、どちらも良いことがあったことを意味しているという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。
「渡りに船」と「地獄で仏」の違い
「渡りに船」と「地獄で仏」の意味の違い
「渡りに船」と「地獄で仏」の違いを分かりやすく言うと、「渡りに船」とは困っていない時でも使える、「地獄で仏」とは困っている時にしか使えないという違いです。
「渡りに船」と「地獄で仏」の使い方の違い
一つ目の「渡りに船」を使った分かりやすい例としては、「両親が持ってきた縁談の話は渡りに船でした」「この話を持ち掛けられた相手は渡りに船だと思ったに違いありません」「転勤の辞令は渡りに船でした」などがあります。
二つ目の「地獄で仏」を使った分かりやすい例としては、「地獄で仏とはまさにこういうことを言うのだろう」「会社からリストラされたが、すぐに別の会社から声がかかり地獄で仏に会ったようでした」などがあります。
「渡りに船」と「地獄で仏」の使い分け方
「渡りに船」と「地獄で仏」はどちらも良いことがあったことを意味する言葉ですが、使い方に少し違いがあるので注意が必要です。
「渡りに船」は「スーパーでお惣菜を見ていたら丁度割引が始まったので、渡りに船ばかりと購入を決めました」のように、特別困っていなくても良いことがあった場合に使える言葉になります。
一方、「地獄に仏」は「大雪の影響で電車が止まってしまったが、両親が迎えに来てくれるらしい。まさに地獄で仏です」のように、困っている時でしか使えない言葉です。
つまり、「渡りに船」は困っている時、困っていない時どちらでも使えるのに対して、「地獄に仏」は困っている時でしか使えない言葉と覚えておきましょう。
「渡りに船」と「地獄で仏」の英語表記の違い
「渡りに船」も「地獄で仏も」も英語にすると「lifesaver」「godsend」となり、例えば上記の「転勤の辞令は渡りに船でした」を英語にすると「Her transfer was a lifesaver for her」となります。
「渡りに船」の意味
「渡りに船」とは
「渡りに船」とは、必要な物がそろったり望ましい状態になったりして好都合なことを意味しています。
「渡りに船」の読み方
「渡りに船」の読み方は「わたりにふね」です。誤って「わたりにふな」などと読まないようにしましょう。
また、「渡りに船」は「渡りに舟」と表記することも可能です。
表現方法は「渡りに船の申し出」「渡りに船とばかりに」
「渡りに船の申し出」「渡りに船とばかりに」などが、「渡りに船」を使った一般的な言い回しです。
「渡りに船」の使い方
「渡りに船」を使った分かりやすい例としては、「渡りに船の申し出です」「関係者に取材したいと思っていたところなので、紹介してもらえるとは渡りに船でした」「この仕事のお誘いは私にとって渡りに船だった」などがあります。
「渡りに船」は必要な物がそろったり望ましい状態になったりして好都合なことを意味することわざで、日常生活とビジネスシーンどちらでも使うことが可能です。また、困っている、困っていないに関わらず使用することができます。
「渡りに船」の由来
「渡りに船」の由来は仏教の『法華経』(読み方:ほけきょう)です。『法華経』の中に「渡りに船を得たるが如く」という一文がありました。
これは、どのようにして川を渡ろうかと思っていたところに、ちょうどよく目の前に船があったというお話です。昔は川に橋がほとんど掛けられておらず、対岸へ渡るためには船に乗るか、歩いて渡れるところまで移動するしかありませんでした。
そのため、川を渡りたい時に、運よく船が通りかかるのはとても幸運なことなのです。このことが転じて、必要な物がそろったり望ましい状態になったりして好都合なことを、「渡りに船」と言うようになりました。
「渡りに船」の対義語
「渡りに船」の対義語・反対語としては、一つの災難が過ぎてほっとする間もなくまた次の災難が起きることを意味する「一難去ってまた一難」があります。
「渡りに船」の類語・類義語としては、待ち望んでいた物事が実現することを意味する「干天の慈雨」(読み方:かんてんのじう)、切望するものに巡り会うことを意味する「闇夜の提灯」(読み方:やみよのちょうちん)などがあります。
「地獄で仏」の意味
「地獄で仏」とは
「地獄で仏」とは、危難や苦しみの時に思いがけない助けにあって嬉しいことを意味しています。
「地獄で仏」の読み方
「地獄で仏」の読み方は「じごくでほとけ」です。誤って「じごくでぶつ」などと読まないようにしましょう。
「地獄で仏」の使い方
「地獄で仏」を使った分かりやすい例としては、「風邪で寝込んでいたらクラスメイトがお見舞いに来てくれて、地獄で仏に会ったようでした」「地獄で仏に会うとはこんな気持ちを表すのだろうか」「地獄で仏とはまさにこのことだろう」などがあります。
「地獄で仏」は「地獄で仏に会ったよう」ということわざを省略した言葉になります。この「地獄」とは困難や苦労を表しており、「仏」は思いがけない助けのことを表しています。これが転じて、危難や苦しみの時に思いがけない助けにあって嬉しいことを「地獄で仏」と言うようになりました。
「地獄で仏」の特徴は困っている時でしか使えないという点です。そのため、「洋服を見ていたら丁度割引が始まったので、地獄で仏ばかりと購入を決めました」のように困っていない場面では使用できないと覚えておきましょう。
「地獄で仏」の類語
「地獄で仏」の類語・類義語としては、困り果てているときに頼りになるものに巡り会うことを意味する「闇夜に提灯」(読み方:やみよにちょうちん)、非常に困ったときにもたらされる救いの手のことを意味する「日照りに雨」などがあります。
「渡りに船」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、必要な物がそろったり望ましい状態になったりして好都合なことを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、「渡りに船」は好都合な状態になった場合に使う言葉です。
「地獄で仏」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、危難や苦しみの時に思いがけない助けにあって嬉しいこと表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、「地獄で仏」は困っている時限定で使うことができる言葉です。
「渡りに船」と「地獄で仏」はどちらも良いことがあったことを表します。どちらの言葉を使うか迷った場合、困っていない時でも使えるのが「渡りに船」、困っている時でしか使えないのが「地獄で仏」と覚えておきましょう。