似た意味を持つ「他力本願」(読み方:たりきほんがん)と「絶対他力」(読み方:ぜったいたりき)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。
「他力本願」と「絶対他力」という言葉は、どちらも仏教用語であるという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。
他力本願と絶対他力の違い
他力本願と絶対他力の意味の違い
他力本願と絶対他力の違いを分かりやすく言うと、他力本願とは仏教用語だけでなく比喩的表現にも用いられ、絶対他力とは仏教用語としてのみ用いられるという違いです。
他力本願と絶対他力の使い方の違い
一つ目の他力本願を使った分かりやすい例としては、「私は阿弥陀様の他力本願を信じています」「他力本願のために念仏を唱える」「負んぶに抱っこの他力本願な人にイライラする」「他力本願な考えではダメだ」などがあります。
二つ目の絶対他力を使った分かりやすい例としては、「救済原理としての絶対他力がありました」「親鸞聖人は絶対他力を唱えました」「鎌倉時代の仏教には絶対他力の思想が根付いていた」「絶対他力の大道を現代語訳する」などがあります。
他力本願と絶対他力の使い分け方
他力本願と絶対他力という言葉は、どちらも仏教の教えを示す仏教用語ですが、厳密な意味や使い方には違いがあります。
他力本願とは、仏教において、阿弥陀如来の本願によって極楽往生を得ることを意味します。転じて、俗に、自分では何もせずに他人に任せることや、他人の力をあてにしているさまを意味し、他力本願な考え」「他力本願な人」などと比喩的な表現に用いられています。
絶対他力とは、浄土真宗の宗祖である親鸞が説いた教えであり、救いは人間の自力ではなく、すべて阿弥陀仏の力によるものであることを意味します。他力本願のような比喩的表現で用いられることはなく、もっぱら仏教用語として用いられています。
他力本願と絶対本願を比べると、比喩的表現で一般的に使われている他力本願の方が、馴染みのある言葉だと言えるでしょう。
他力本願と絶対他力の英語表記の違い
他力本願も絶対他力も英語にすると「salvation by faith in Amitabha」となり、例えば上記の「私は他力本願を信じている」を英語にすると「I believe in the salvation by faith in Amitabha」となります。
他力本願の意味
他力本願とは
他力本願とは、自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されることを意味しています。
その他にも、「俗に、自分の努力でするのではなく、他人がしてくれることに期待をかけること」の意味も持っています。
表現方法は「他力本願の人」「他力本願をやめる」「他力本願にならない」
「他力本願の人」「他力本願をやめる」「他力本願にならない」などが、他力本願を使った一般的な言い回しです。
他力本願の使い方
「親鸞聖人によって他力本願は広められた」「他力本願とは阿弥陀如来の本願の働きです」「仏教徒である私の座右の銘は他力本願です」などの文中で使われている他力本願は、「自らの功徳によってではなく阿弥陀仏の本願によって救済されること」の意味で使われています。
一方、「無責任で他力本願な人とは仕事をしたくない」「お金が無いから他力本願で友達に焼き鳥をおごってもらう」「彼は他力本願で、あなたが頼りですが口癖だ」などの文中で使われている他力本願は、「他人がしてくれることに期待をかけること」の意味で使われています。
他力本願の由来
他力本願は、もともと仏教に由来する言葉です。他力とは自己を超えた絶対的な仏の慈悲の力であり、本願とは仏が修行しているときに立てた誓いを指します。他力本願とは、阿弥陀如来の立てた本来の願いにすがって救済され、極楽往生を得ることを意味する浄土真宗の基本的な教えです。
この仏教の教えが転じて、俗に、事をなすのに他人の力をあてにすること、物事を人任せにすることの意味で用いられるようになりました。世間一般に使われている他力本願という言葉は、仏教用語の誤用が定着したものなのです。
他力本願の対義語
他力本願の対義語・反対語としては、自分の力で善を成し遂げようとするこを意味する「自力作善」、自分だけの力で修行し悟りを得ようとすることを意味する「自力」、自分の行動の責任は自分にあることを意味する「自己責任」などがあります。
他力本願の類語
他力本願の類語・類義語としては、阿弥陀仏の本願は罪業の深い悪人を救うことにあることを意味する「悪人正機」、他人に任せきりにすることを意味する「人任せ」、他人の好意に甘えて頼り切ることを意味する「負んぶに抱っこ」などがあります。
絶対他力の意味
絶対他力とは
絶対他力とは、阿弥陀如来の本願に拠らずには極楽往生は出来ないことを意味しています。
絶対他力の読み方
絶対他力の読み方は「ぜったいたりき」です。誤って「ぜったいたりょく」などと読まないようにしましょう。
絶対他力の使い方
絶対他力を使った分かりやすい例としては、「親鸞の絶対他力と仏教でいう他力本願の違いを述べよ」「絶対他力とは簡単にいうと法然の他力を更に進めたものです」「絶対他力と自然法爾は違います」などがあります。
その他にも、「浄土真宗における絶対他力の意味を説く」「親鸞は絶対他力の教えを広めた」「清沢満之の絶対他力の大道を読む」「阿弥陀如来の力にすがる絶対他力を信じる」「鎌倉仏教は絶対他力を強調しました」などがあります。
絶対他力の由来
絶対他力という言葉も、他力本願と同じく仏教に由来します。浄土宗の開祖である法然が絶対的な仏の慈悲の働きを「他力」とし、法然の弟子である親鸞は、さらに他力を絶対的な存在として、救いはすべて阿弥陀仏の力によるという「絶対他力」を説きました。
「絶対他力の大道」の意味
上記の例文にある「絶対他力の大道」とは、明治時代に活躍した真宗大谷派の僧侶であり哲学者の清沢満之の著書です。雑誌「精神界」に掲載されました。
絶対他力の対義語
絶対他力の対義語・反対語としては、他からの支配や助力を受けずに存在することを意味する「自立」、他からの束縛や支配を受けないで自分の意志で行動することを意味する「独立」などがあります。
絶対他力の類語
絶対他力の類語・類義語としては、自分の力を捨て去り如来の示す絶対他力に身を委ねることを意味する「自然法爾」(読み方:じねんほうに)、神仏や高僧を信じてその力にすがることを意味する「帰依」などがあります。
他力本願の例文
この言葉がよく使われる場面としては、自己の修行によって悟りを開くのではなく阿弥陀仏の力によって救済されること、事をなすのに他人の力をあてにすることを表現したい時などが挙げられます。
例文1や例文2の文中にある他力本願は、自己の悟りではなく阿弥陀仏の力によって救済されることの仏教用語として用いられています。例文3から例文5にある他力本願は、他人の力をあてにすることの意味で用いられています。
絶対他力の例文
この言葉がよく使われる場面としては、救いは阿弥陀仏の慈悲の力であるという親鸞の考えを表現したい時などが挙げられます。
絶対他力とは仏教用語であり、上記の例文にあるように仏教に関する事柄に用いられ、他力本願のような俗な使い方はされません。
他力本願と絶対他力という言葉は、どちらも「阿弥陀仏の力」を表します。どちらの言葉を使うか迷った場合、阿弥陀仏によって救済されることや他人をあてにすることを表現したい時は「他力本願」を、救いはすべて阿弥陀仏の力によることを表現したい時は「絶対他力」を使うようにしましょう。