似た意味を持つ「浅学非才」(読み方:せんがくひさい)と「浅学寡聞」(読み方:せんがくかぶん)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。
「浅学非才」と「浅学寡聞」という言葉は、どちらも「学識に乏しいこと」を意味しているという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。
浅学非才と浅学寡聞の違い
浅学非才と浅学寡聞の意味の違い
浅学非才と浅学寡聞の違いを分かりやすく言うと、浅学非才とは自分の能力に対する謙遜を表し、浅学寡聞とは自分の経験に対する謙遜を表すという違いです。
浅学非才と浅学寡聞の使い方の違い
一つ目の浅学非才を使った分かりやすい例としては、「浅学非才の身ですが、精いっぱい任務を全うしたいと思っております」「誠に浅学非才の身なれど、社の発展に力を尽くす所存です」「浅学非才を顧みず選挙に立候補することを決意しました」などがあります。
二つ目の浅学寡聞を使った分かりやすい例としては、「浅学寡聞の身ですが日々精進してまいります」「仏教思想については浅学寡聞にして存じておりません」「浅学寡聞ながらご期待に応えるべく努力してまいります」などがあります。
浅学非才と浅学寡聞の使い分け方
浅学非才と浅学寡聞という言葉は、どちらも学問や知識が乏しいことを表し、自分のことをへりくだっていう時に用いられる四字熟語です。二つの言葉は「浅学非才の身」「浅学寡聞の身」などと同じような表現をしますが、厳密な意味や使い方には違いがあります。
浅学非才とは、学識が浅く、才能も乏しいことを意味します。自分の能力をへりくだっていう時に用いられ、自分はまだまだ勉強すべきであることや、自分はもっと努力すべきであることのニュアンスを伴う言葉です。
浅学寡聞とは、学識が浅く、見聞が狭いことを意味します。自分の経験や知識が少ないことを謙遜して表現する言葉であり、自分は未熟者であることや、もっと経験が必要であることのニュアンスを伴う言葉です。
つまり、浅学非才は自分の能力不足をへりくだっていう表現であり、浅学寡聞は自分の経験不足をへりくだっていう表現なのです。
浅学非才と浅学寡聞の英語表記の違い
浅学非才を英語にすると「one’s lack of learning or ability」「shallow learning and limited ability」となり、例えば上記の「浅学非才の身ですが」を英語にすると「Though I have little learning or ability」となります。
一方、浅学寡聞を英語にすると「shallow learning and limited information」「being ignorant and badly informed」となり、例えば上記の「浅学寡聞の身ですが」を英語にすると「Though I am ignorant and badly informed」となります。
浅学非才の意味
浅学非才とは
浅学非才とは、学問、知識ともに乏しく、かつ才能もないこと。自分は無知無能であると謙遜していう語を意味しています。
浅学非才は「浅学菲才」とも書く
浅学非才は「浅学菲才」とも書きますが、常用漢字である「非」を用いた「浅学非才」と表記する方が一般的です。
浅学非才の使い方
浅学非才を使った分かりやすい例としては、「浅学非才の身ではございますが、精一杯努める所存です」「己の浅学非才さに穴があったら入りたい気持ちです」「浅学非才で馬鹿丸出しの私を根気よくご指導くださりありがとうございます」などがあります。
その他にも、「浅学非才を顧みず、任務をお引き受けすることにしました」「浅学非才の私に、このような場を設けていただき御礼申し上げます」「もとより浅学非才の身ではございますが、皆様のご期待に沿うよう努力してまいります」などがあります。
浅学菲才とは、学識が浅く、才能が乏しいことを意味する四字熟語です。基本的には自分に対して使い、自分の能力を謙遜するときに用いられる言葉です。自分の能力をへりくだっていう表現であり、相手や第三者に対して使用することは大変失礼になります。
浅学非才の語源
浅学非才という言葉の語源は、二つの熟語「浅学」と「非才」に由来します。「浅学」は 文字通り「学が浅いこと」であり、学問や知識が未熟であることを意味します。「非才」は才能がないことや才能の乏しいことを意味します。もともとは粗末なさまを表す「菲」を用いた「菲才」と書きました。
浅学非才の対義語
浅学非才の対義語・反対語としては、広く諸学に通じ才能が豊かであることを意味する「博学多才」、広く物事を聞き知ってそれらをよく記憶していることを意味する「博聞強記」などがあります。
浅学非才の類語
浅学非才の類語・類義語としては、一人前の半分の働きしかしないことを意味する「半人前」、学問や技術などの経験や修練がまだ十分でないことを意味する「未熟」、未熟で経験の浅いことや自分を卑下していう語を意味する「若輩」などがあります。
浅学寡聞の意味
浅学寡聞とは
浅学寡聞とは、学問、知識ともに乏しく、経験が少ないことを謙遜していうときの語を意味しています。
浅学寡聞の使い方
浅学寡聞を使った分かりやすい例としては、「感染症のメカニズムについては浅学寡聞にして存じません」「浅学寡聞であるためパソコンの使い方も詳しくありません」「浅学寡聞の身ではございますが皆様の期待に応えられるよう努めて参ります」などがあります。
その他にも、「まだまだ浅学寡聞ではございますが、ご指導宜しくお願いいたします」「誠に浅学寡聞でお恥ずかしい限りです」「このゲーム理論は浅学寡聞にして存じ上げません」「浅学寡聞の身ですので一層努力して参ります」などがあります。
浅学寡聞の読み方
浅学寡聞の読み方は「せんがくかぶん」です。誤って「せんがくかもん」「あさがくかぶん」などと読まないようにしましょう。
浅学寡聞とは、学識が浅く見聞の狭いことを意味し、自分の知識や経験が少ないことを謙遜していう四字熟語です。浅学寡聞の「浅学」は学問や知識が未熟なこと、「寡聞」は見聞が狭く浅いことを表します。どちらも謙遜していうときの熟語です。
浅学寡聞の対義語
浅学寡聞の対義語・反対語としては、広く物事を聞いてよく知っていることを意味する「博聞」、広く物事を見知ってよく覚えていることを意味する「博覧強記」などがあります。
浅学寡聞の類語
浅学寡聞の類語・類義語としては、 狭い見識や視野の狭い考え方を意味する「管見」、浅はかな見識や考えや自分の意見をへりくだっていう語を意味する「浅見」、才能が乏しいことや自分の才能をへりくだっていう語を意味する「短才」などがあります。
浅学非才の例文
この言葉がよく使われる場面としては、学識が浅く、才能も乏しいことを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文のように、浅学非才という言葉は、自分の能力を謙遜して表現する時に用いられています。
浅学寡聞の例文
この言葉がよく使われる場面としては、学問や知識があまり無く、見聞が狭いことを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文のように、浅学非才という言葉は、自身の知識や経験が少ないことを謙遜して表現する時に用いられています。
浅学非才と浅学寡聞という言葉は、どちらも自分をへりくだって学識が少ないことを表します。どちらの言葉を使うか迷った場合、自分の能力不足をへりくだって表現したい時は「浅学非才」を、自分の経験不足をへりくだって表現したい時は「浅学寡聞」を使うようにしましょう。