【我武者羅】と【無我夢中】の意味の違いと使い方の例文

言葉の使い方の例文

似た意味を持つ「我武者羅」(読み方:がむしゃら)と「無我夢中」(読み方:むがむちゅう)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。

どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。

「我武者羅」と「無我夢中」という言葉は、どちらも何か一つのことに熱中するという意味を持つ共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。




我武者羅と無我夢中の違い

我武者羅と無我夢中の意味の違い

我武者羅と無我夢中の違いを分かりやすく言うと、我武者羅は自分の意志や決意を持って一つの目的に向こう見ずにあたっていくことを意味していて、無我夢中は無意識のうちにいつの間にか我を忘れて熱中してしまうことを意味しているという違いです。

我武者羅と無我夢中の使い分け方

我武者羅というのは、元々は「我貪」と書いて「がむさぼり」と読むものが転じて「がむしゃら」という読みになったものです。我武者羅の「武者羅」の部分は当て字であると言われています。

我武者羅というのは、自分の決意でもって、将来や後先のことを考えずに強引に物事を行うことや、その様子を示す四字熟語です。一つの目的以外のことは全く無視して気にせず、真っ直ぐでひたむきな様子であるとも捉えられます。

一方の無我夢中というのは、仏教用語である「無我」という言葉に、何かに熱中するという意味を持つ「夢中」という言葉を付けて四字熟語として成り立っているものです。この「無我」というのは、自分に捕らわれずに自分を忘れることを意味しています。

つまり、無我夢中というのは、何かに気を取られて、我を忘れて熱中することや、その姿を意味している言葉であると言えます。無我夢中という状態は、自ら進んで陥ることが出来るものではなく、自然といつの間にか、そうなってしまっているものです。

我武者羅は、自らの意志や決意によって成り立つものですが、無我夢中はいつの間にかそうなってしまうものであると考えるようにするとその違いが分かりやすいでしょう。どちらも周りが見えなくなるほどに熱中するという意味では等しいものです。

我武者羅の意味

我武者羅とは

我武者羅とは、何か一つの目的に向かって、先のことは考えずに強引に行動することを意味しています。向こう見ずな状態で、他のことは全く無視をして、ひたすらに事にあたることを表現する際に使用される言葉です。

我武者羅の由来

我武者羅というのは、元々は「我貪」(読み方:がむさぼり)が変化して出来た言葉であると言われています。「がむさぼり」という読み方が変化したことで「がむしゃら」になり、元々あった「我」という字を残して、あとの「武者羅」の部分は当て字です。

「我武者羅に抵抗する」の意味

自分自身の自我を貪るほどに、ひたすらにある事をする状態のことを我武者羅と表現します。この我武者羅という状態には、意識的な決意を持ってなっていくものです。例えば「窮地に陥って、我武者羅に抵抗する」などのように使用されます。

「我武者羅に攻める」の意味

その他にも、スポーツの試合などで、相手との点差が僅差であり、試合終了時刻が間近に迫っている場合などに「我武者羅に攻める」などのように使用されたりします。このように、一つの目的に向かって、意識的に必死になる状態を我武者羅と言います。

表現方法は「我武者羅に生きる」「我武者羅に頑張る」「我武者羅にやる」

「我武者羅に生きる」「我武者羅に頑張る」「我武者羅にやる」などが、我武者羅を使った一般的な言い回しです。

我武者羅の使い方

上記以外の我武者羅を使った分かりやすい例としては、「将来の困らないように今を我武者羅に生きている」「転職したばかりなので我武者羅に頑張ることにしている」「やれる自信はないが我武者羅にやる」などがあります。

我武者羅の類語は「遮二無二」

我武者羅の類語・類義語には「遮二無二」(読み方:しゃにむに)などがあります。これは、むやみやたらと、無性に、向こう見ずに、という意味を持つ言葉です。

遮二無二の「遮二」は、二を断ち切るという意味であり、「無二」は二がないという意味です。つまり、前後の見通しがないという言葉であると言えます。我武者羅も、後先を考えないで強引にするという意味を持つので、同じような言葉であると言えます。

我武者羅の「我」という字を使った別の単語としては、夢中になって心を奪われうっとりすることを意味する「忘我」、他と区別された個人としての自我を意味する「個我」、自分だけの偏った見方や狭い考えという意味を持つ「我見」などがあります。

無我夢中の意味

無我夢中とは

無我夢中とは、ある事にすっかりと心を奪われてしまい、我を忘れてしまうことを意味しています。無我夢中という状態は、いつの間にか陥ってしまうものであり、意識的になるものではありません。

無我夢中の由来

無我夢中の「無我」は、元々は仏教用語であり、自分自身を超越した心という意味を持ちます。そのことから、自分を忘れてしまうくらい夢中になってしまう、熱中してしまうことを「無我」に「夢中」と付けて表現するようになりました。

なにか一つのことに気を取られて、いつの間にか我を忘れてしまうこと、熱中してしまうことを表現したい時に無我夢中という言葉を使うのだと覚えておくようにしましょう。何かに心を奪われている状態であると考えても分かりやすいです。

無我夢中の類語は「一心不乱」

無我夢中の類語・類義語としては、一心不乱(読み方:いっしんふらん)があります。この一心不乱は、心を一つの事に集中して、他の事に気をとられないことを意味している言葉です。どちらの言葉も、一つのことだけに集中してしまっている状態であると考えます。

無我夢中の使い方

無我夢中というのは、意識的にそういう状態になることはありません。いつの間にか、熱中してしまっている状態のことです。例えば「とても空腹だったので、無我夢中で食べてしまった」というように使われるものです。

自分自身の意志を伴わないもので、気が付いたら夢中になっているような状態の時に「無我夢中」「一心不乱」などの言葉を使うのだと覚えておくようにしましょう。

無我夢中の「夢」という字を使った別の単語としては、夢のようにあてもないことを想像することを意味する「夢想」、迷いの境地を夢にたとえた語を意味する「迷夢」、酔って眠っている間に見る夢を意味する「酔夢」などがあります。

我武者羅の例文

1.試合終了ラスト一分、我がチームは我武者羅に攻め続けた。
2.就職一年目は、とにかく我武者羅に働いていたように思う。
3.彼はいつも我武者羅なやり方ばかりだけれど、その熱意に人は心を打たれるのだ。
4.我武者羅に努力している人を見ると、応援したくなるよね。
5.浪人している間、我武者羅に勉強して、どうにか志望校に入学することが出来た。
6.最初は無謀な挑戦だと思ったが夢に向かい我武者羅に打ち込んでいる妹を見ているうち次第に家族も応援するようになった。
7.私は大学を出ていなかったので、ただ我武者羅に与えられた仕事を一生懸命やるだけでした。
8.いままで色々なことを犠牲にして我武者羅にやってきたのに、どうして私は報われないのだろうか。
9.若いころは我武者羅だったし、出世欲も人一倍あったが、今ではずいぶん丸くなりました。
10.20代の頃はスマートにこなそうなどと思わず、ただただ我武者羅に仕事を頑張ればいい。結果は後からついて来る。

この言葉がよく使われる場面としては、何かの目的に向かって、意識的に向こう見ずな行動を取ることなどを表現したい時などが挙げられます。自分で決意をして、先のことを考えずに行動することを我武者羅と表現します。

我武者羅とは、元々は「我貪」(読み方:がむさぼり)という言葉でした。そのことからも分かるように、自分を貪るほどに必死になって物事にあたることを我武者羅と表現します。後先を考えずに強引に物事を成すという意味でも使用される言葉です。

我武者羅というのは、自分で意識的に決意を持って陥る状態です。または、例文2や3のように、他者から見た時に、その向こう見ずな懸命さが我武者羅に見える場合にもこの言葉が使われます。

無我夢中の例文

1.面接官にどうにか気に入ってもらおうと無我夢中で話した。
2.とても興味深い文献を見つけて、無我夢中で読みふけってしまった。
3.お化け屋敷に入ったけれど、本当に怖くなって無我夢中で走って逃げた。
4.息子は朝から無我夢中でサッカーボールを追いかけている。
5.試験開始の合図を受けて、無我夢中で問題を解く。
6.友人に誘われて見に行った舞台だが、演者の迫力ある歌声や動きにいつしか無我夢中になって見入っていた。
7.幼い子を2人抱えてシングルマザーになった私に残ったのは、とにかく仕事と育児を無我夢中でこなす日々だった。
8.友達のススメでプログラミングに興味を持ってからは、無我夢中でパソコンと格闘していました。
9.美味しいものを食べる時は無我夢中で食べてしまうので、友達との会話が一切ありませんでした。
10.大人になってからも何かに無我夢中で取り組んでいる人は、何かあってもメンタルが強いなと思いました。

この言葉がよく使われる場面としては、ある事柄にいつの間にかすっかり心を奪われて、我を忘れてしまっている状態のことを表現したい時などが挙げられます。無我夢中というのは、意識的に陥るものではなく、いつの間にかなっているものです。

無我夢中というのは、いつの間にかある物事に心を奪われてしまい、自分を忘れるほどに熱中してしまうことを意味する言葉です。我武者羅とは違い、意識的に陥るものではなく、気が付いたら夢中になっていることを指す言葉です。

元々は「無我」という仏教用語に「夢中」という熟語を加えた表現だったものですが、現在では「無我夢中」という四字熟語として認識されているものです。

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