似た意味を持つ「寂寥」(読み方:せきりょう)と「寂寞」(読み方:せきばく)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。
「寂寥」と「寂寞」という言葉は、どちらも寂しい様子を意味しているという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。
寂寥と寂寞の違い
寂寥と寂寞の意味の違い
寂寥と寂寞の違いを分かりやすく言うと、寂寞よりも寂寥のほうが寂しさの程度が大きいという違いです。
寂寥と寂寞の使い方の違い
一つ目の寂寥を使った分かりやすい例としては、「その映画の寂寥たる光景が印象に残った」「老いが深まるにつれ寂寥感を覚える」「夜中に寂寥の念に襲われることがある」「孤独を感じ、誰かといても寂寥の感は消えない」などがあります。
二つ目の寂寞を使った分かりやすい例としては、「人影がなく寂寞とした街である」「引っ越したばかりで寂寞感でいっぱいだ」「思い出の品を見ると寂寞の念に駆られた」「雑踏のなかにいても寂寞感に襲われる」などがあります。
寂寥と寂寞の使い分け方
寂寥と寂寞という言葉は、人の気配がなく寂しい感じがするさまや、心が満たされず寂しいさまを意味します。どちらも寂しい風景や寂しい気持ちを表し、ほぼ同じ意味を持つため、使い分けが難しい言葉ですが、あえて違いを言うならば寂しさの度合いでしょう。
寂寥は寂しさの程度が大きく、虚しくて寂しいというニュアンスがあります。空虚感を覚えるような寂しさの場合に使われています。一方の寂寞は、比較的に寂しさの程度が小さく、ひっそりとして寂しいというニュアンスです。さみしい雰囲気をふっと感じるような時に使われています。
どちらの言葉も、話し言葉にはあまり用いられず、文章を書くときに多く用いられる書き言葉です。ほぼ同義の言葉ですが、寂しさの度合いを厳密に表現した時に使い分ければ良いでしょう。
寂寥と寂寞の英語表記の違い
寂寥も寂寞も英語にすると「forlornness」「desolation」「loneliness」となり、例えば上記の「寂寥たる光景」を英語にすると「desolate scene」となります。
寂寥の意味
寂寥とは
寂寥とは、心が満ち足りず、もの寂しいことを意味しています。
その他にも、ひっそりとしてもの寂しいさまの意味も持っています。
表現方法は「寂寥の念」「寂寥の感」「寂寥感に苛まれる」
「寂寥の念」「寂寥の感」「寂寥感に苛まれる」などが、寂寥を使った一般的な言い回しです。
寂寥の使い方
「彼女と別れた日から寂寥感が去来する」「ふと寂寥の念がこみ上げてくる瞬間がある」「主人公の孤独さや寂寥さが感じられる一文だ」「故郷に着くと寂寥の感が胸に込み上げた」などの文中で使われている寂寥は、「心が満ち足りず、もの寂しいこと」の意味で使われています。
一方、「少年が寂寥たる冬の海に佇んでいる」「夏には海よりも寂寥とした渓谷を好んで訪れる」「極めて寂寥な景色が広がっていた」などの文中で使われている寂寥は、「ひっそりとしてもの寂しいさま」の意味で使われています。
寂寥という言葉は、上記の例文にあるように二つの意味を持ち、もの寂しい感情や、静かで寂しい景色などを表す文章語です。寂寥の「寥」とは、空虚でもの寂しいことや静かなことを表します。寂しさやひっそりと静かなさまを表す「寂」と結びついて、寂しさを強調する表現です。
「寂寥感を感じる」は二重表現
寂寥感の誤った言い回しに「寂寥感を感じる」がありますが、これは二重表現になります。「腹痛が痛い」のように同じ意味の言葉を重複して用いる表現になるので、「寂寥感を覚える」や「寂寥感を抱く」など、ほかの動詞を使った方が良いでしょう。
寂寥の対義語
寂寥の対義語・反対語としては、心が満ち足りることや十分であることを意味する「満足」、必要なものが十分に備わることを意味する「充実」、催し物に多くの人が集まって盛んなようすを意味する「盛況」などがあります。
寂寥の類語
寂寥の類語・類義語としては、ひっそりとしてもの寂しいさまを意味する「寥寥」、心が満たされい気持ちであることを意味する「寂しい」、ひどくもの静かでさびしいことを意味する「侘しい」、風景などが荒れ果ててものさびしいさまを意味する「荒涼」などがあります。
寂寞の意味
寂寞とは
寂寞とは、ひっそりとして寂しいさまを意味しています。
その他にも、心が満たされずにもの寂しいさまの意味も持っています。
表現方法は「寂寞の思い」「寂寞の念」「寂寞の苦しみ」
「寂寞の思い」「寂寞の念」「寂寞の苦しみ」「寂寞とした」「寂寞感」などが、寂寞を使った一般的な言い回しです。
寂寞の使い方
「寂寞たる風景を詠んだ歌である」「寂寞とした深夜の駅で電車を待つ」「訪れた町は寂寞とした印象を受けた」などの文中で使われている寂寞は、「ひっそりとして寂しいさま」の意味で使われています。
一方、「一人になると急に寂寞感に襲われた」「伴侶を亡くした友人は寂寞たる生活を送っているようだ」「不意に訪れる寂寞の苦しみから抜け出したい」などの文中で使われている寂寞は、「心が満たされずにもの寂しいさま」の意味で使われています。
寂寞という言葉の「寞」とは、ひっそりしている寂しいことを表し、寂寞はひっそりとして寂しい景色の広がりや、心が満たされない寂しさの二つの意味を持ちます。寂寞は「せきばく」の他に「じゃくまく」とも読みますが、一般的には「せきばく」と読まれています。
四字熟語「寂寞無為」の意味
寂寞という言葉を用いら四字熟語には「寂寞無為」があり、ひっそりと自然のままで手を加えていないことを意味します。無為は作為のない自然のあるがままである状態であり、ここでの寂寞はひっそりとして寂しい景色を意味しています。
寂寞の対義語
寂寞の対義語・反対語としては、心が満ち足りてよろこぶことを意味する「満悦」、十分に補い満たすことや満ち足りることを意味する「充足」、人が多く集まり賑わっていることを意味する「繁華」などがあります。
寂寞の類語
寂寞の類語・類義語としては、ひっそりとして寂しいさまを意味する「寂寂」、なんとなくさびしいやうらさびしいを意味する「物寂しい」、なんとはなしにさびしく思うことを意味する「心寂しい」、何物もなくむなしいことを意味する「虚無」などがあります。
寂寥の例文
この言葉がよく使われる場面としては、もの寂しいさま、ひっそりしているさまを表現したい時などが挙げられます。
例文1から例文4にある寂寥はもの寂しい心情を、例文5にある寂寥はひっそりとして寂しい風景を意味しています。
例文1にある「寂寥感に苛まれる」とは、空虚な心や物悲しい感情がとりつかれて、心苦しい気持ちや苦しめられている状態を表す言い回しです。例文2にある「寂寥の念に駆られる」とは、寂寥の思いを強く感じることを表現しています。
寂寞の例文
この言葉がよく使われる場面としては、静かでひっそりとしているさま、心が満たされずにもの寂しいさまを表現したい時などが挙げられます。
例文1から例文3での寂寞は静かでひっそりとしているさまの意味で用いられ、例文4や5では心が満たされずにもの寂しいさまの意味で用いられています。例文4にある「寂寞の念」と例文5にある「寂寞の思い」はほぼ同じ意味であり、もの寂しい気持ちを表します。
寂寥と寂寞という言葉は、どちらも寂しい感じがするさまや、心が寂しいさまを意味します。どちらの言葉を使うか迷った場合、寂しさの程度が大きく虚しくて寂しいさまを表現したい時は「寂寥」を、寂しさの程度が小さくひっそりとして寂しいさまを表現したい時は「寂寞」を使うようにしましょう。