似た意味を持つ「馬の耳に念仏」(読み方:うまのみみにねんぶつ)と「馬耳東風」(読み方:ばじとうふう)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。
「馬の耳に念仏」と「馬耳東風」という言葉は、どちらも他人の意見に耳を貸さないことを意味しているという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。
「馬の耳に念仏」と「馬耳東風」の違い
「馬の耳に念仏」と「馬耳東風」の意味の違い
「馬の耳に念仏」と「馬耳東風」の違いを分かりやすく言うと、「馬の耳に念仏」とは人の話を聞いても理解できていないこと、「馬耳東風」とは人の話を聞き入れないことという違いです。
「馬の耳に念仏」と「馬耳東風」の使い方の違い
一つ目の「馬の耳に念仏」を使った分かりやすい例としては、「彼女に何を言っても馬の耳に念仏である」「馬の耳に念仏かもしれないけど一度話してみよう」「コーラの飲み過ぎは良くないと忠告したが馬の耳に念仏のようだ」などがあります。
二つ目の「馬耳東風」を使った分かりやすい例としては、「部下が必死に訴えたとしても上層部は馬耳東風に過ぎないよ」「馬耳東風な人に何を言っても無駄だろう」「彼女は何を言われても馬耳東風と聞き流す」などがあります。
「馬の耳に念仏」と「馬耳東風」の使い分け方
「馬の耳に念仏」と「馬耳東風」はどちらも他人の意見に耳を貸さないことを意味する言葉ですが、使い方に少し違いがあるので注意が必要です。
「馬の耳に念仏」はいくら意見をしても全く効き目のないことを意味しており、聞き手理解力が乏しいことを表現しています。一方、「馬耳東風」は他人の意見や批評をまったく気に留めず聞き流すこと、つまり人の話を聞き入れないというニュアンスで使うというのが違いです。
したがって、「馬耳に念仏」は意見を言っても理解してもらえないので言っても無駄というニュアンスで使い、「馬耳東風」は意見を言っても聞きな入れてもらえないので言っても無駄というニュアンスで使うと覚えておきましょう。
また、「馬の耳に念仏」はことわざなのに対して、「馬耳東風」は四字熟語というのも違いの一つです。
「馬の耳に念仏」と「馬耳東風」の英語表記の違い
「馬の耳に念仏」を直訳した英語はありませんが、近い表現として「deaf ear」があります。例えば上記の「彼女にに忠告したって馬の耳に念仏だよ」を英語にすると「She will turn a deaf ear to your advice」
一方、「馬耳東風」を英語にすると「deaf ear」となり、例えば上記の「彼女は何を言われても馬耳東風と聞き流す」を英語にすると「She turns a deaf ear to whatever he’s told」となります。
「馬の耳に念仏」の意味
「馬の耳に念仏」とは
「馬の耳に念仏」とは、いくら意見をしても全く効き目のないことを意味しています。
「馬の耳に念仏」の使い方
「馬の耳に念仏」を使った分かりやすい例としては、「彼が言ってることは難しくて私には馬の耳に念仏でした」「彼女はプライドが高いので指摘しても馬の耳に念仏だ」「あいつには馬の耳に念仏という表現がぴったりです」などがあります。
「馬の耳に念仏」はいくら意見をしても全く効き目のないこと、つまり言っても無駄というニュアンスで使います。また、人の意見を聞かなかったり意見を理解できない人などマイナスなイメージで使う言葉です。
そのため、ビジネスシーンなどで目上の人に対しては使えないと覚えておきましょう。
「馬の耳に念仏」の由来
「馬の耳に念仏」の由来は馬に念仏を聞かせることです。昔は移動するのにも働くにも馬が使われており、家族のような存在でした。そんな大切な馬でもお坊さんのありがたい念仏を理解することはできません。
このことが転じて、いくら意見をしても全く効き目のないことを念仏を理解できない馬に例えて「馬の耳に念仏」と言うようになりました。
「馬の耳に念仏」の類語
「馬の耳に念仏」の類語・類義語としては、貴重なものも価値の分からない者には無意味であることを意味する「豚に真珠」、貴重なものを与えても本人にはその値うちが分からないことを意味する「猫に小判」などがあります。
「馬耳東風」の意味
「馬耳東風」とは
「馬耳東風」とは、他人の意見や批評をまったく気に留めず聞き流すことを意味しています。
表現方法は「馬耳東風な態度」「馬耳東風な人」「馬耳東風である」
「馬耳東風な態度」「馬耳東風な人」「馬耳東風である」「馬耳東風に過ぎる」などが、「馬耳東風」を使った一般的な言い回しになります。
「馬耳東風」の使い方
「馬耳東風」を使った分かりやすい例としては、「彼女に何を言っても馬耳東風である」「彼に苦情が殺到したが馬耳東風であった」「上司の忠告に対して馬耳東風な態度は感心しません」「市民が必死に訴えても市議会は馬耳東風を貫く」などがあります。
「馬耳東風」は他人の意見や批評をまったく気に留めず聞き流すことで、単に聞いていないのではなく、聞いても心に留めないというマイナスなイメージで使う言葉です。
「馬耳東風」の由来
「馬耳東風」の語源は「馬耳」と「東風」です。馬耳とはその名の通り馬の耳のことを意味しています。また、東風は東から吹いてくる風こと、つまり春風のことを意味しています。
春風が吹くと寒い冬が去って暖かくなるだろうと思い人々は喜ぶが、馬は耳を撫でる春風に何も感じません。このことが転じて、他人の意見や批評をまったく気に留めず聞き流すことを「馬耳東風」と言うようになりました。
また、「馬耳東風」という言葉は中国唐の詩人李白の「世人之を聞けば皆頭を掉り、東風の馬耳を射るが如き有り」という詩が元になったと言われています。
「馬耳東風」の類語
「馬耳東風」の類語・類義語としては、何の効果もなく無駄なことを意味する「対牛弾琴」(読み方:たいぎゅうだんきん)、相手の言うことをそのまま受け入れて逆らわないことを意味する「呼牛呼馬」(読み方:こぎゅうこば)などがあります。
「馬の耳に念仏」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、いくら意見をしても全く効き目のないことを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文のように、「馬の耳に念仏」はマイナスなイメージで使われている言葉です。
「馬耳東風」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、他人の意見や批評をまったく気に留めず聞き流すことを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文のように、「馬耳東風」はマイナスなイメージで使われている言葉です。
「馬の耳に念仏」と「馬耳東風」はどちらも他人の意見に耳を貸さないことを表しています。どちらの言葉を使うか迷った場合、人の話を聞いても理解できていないことを表現したい時は「馬の耳に念仏」を、人の話を聞き入れないことを表現したい時は「馬耳東風」を使う覚えておきましょう。