似た意味を持つ「お里が知れる」(読み方:おさとがしれる)と「親の顔が見てみたい」(読み方:おやのかおがみてみたい)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。
「お里が知れる」と「親の顔が見てみたい」という言葉は、どちらも相手を侮辱することを意味しているという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。
「お里が知れる」と「親の顔が見てみたい」の違い
「お里が知れる」と「親の顔が見てみたい」の意味の違い
「お里が知れる」と「親の顔が見てみたい」の違いを分かりやすく言うと、「お里が知れる」は嫌悪感が強い場合に使う、「親の顔が見てみたい」は呆れたという気持ちが強い場合に使うという違いです。
「お里が知れる」と「親の顔が見てみたい」の使い方の違い
一つ目の「お里が知れる」を使った分かりやすい例としては、「この歳になって家事ができないなんてお里が知れる」「こんなことも知らないなんてお里が知れるだろう」「彼の下品な言動を見ればお里が知れる」などがあります。
二つ目の「親の顔が見てみたい」を使った分かりやすい例としては、「電車で大声で叫んでいる子供がいる、親の顔が見てみたいです」「親の顔が見てみたいと言われたので気分が悪くなりました」などがあります。
「お里が知れる」と「親の顔が見てみたい」の使い分け方
「お里が知れる」と「親の顔が見てみたい」はどちらも相手を侮辱することを意味しており、大きな違いはありません。あえて違いを挙げるならば、「お里が知れる」は嫌悪感が強い場合に使うのに対して、「親の顔が見てみたい」は呆れたという気持ちが強い場合に使うという点です。
「お里が知れる」と「親の顔が見てみたい」の英語表記の違い
「お里が知れる」も「親の顔が見てみたい」も日本で生まれたことわざなので、直訳した表現ありませんが、近い表現として生い立ちを意味する「upbringing」があります。
上記の「彼の下品な言動を見ればお里が知れる」を英語にすると、「His off-color remarks reveal his upbringing」となります。
「お里が知れる」の意味
「お里が知れる」とは
「お里が知れる」とは、言葉遣いや仕草によってその人の生まれや育ちが分かることを意味しています。
「お里が知れる」の漢字表記
「お里が知れる」を漢字にすると、「御里が知れる」と表記することができますが、あまり一般的ではありません。余程の理由がない限りひらがなの「お里が知れる」を使うようにしましょう。
「お里が知れる」の使い方
「お里が知れる」を使った分かりやすい例としては、「私のお里が知れてしまうので色々と教えてください」「食事の席ではその人のお里が知れるだろう」「そんな乱暴な言葉を使うなんてお里が知れるよ」などがあります。
「お里が知れる」は乱暴な言葉を言ったり、食事のマナーが悪かったりなど、相手に対して嫌悪感を抱いた時などに使うことわざです。そのため、基本的にマイナスなイメージでしか使いません。
また、「お里が知れる」は他人に対してではなく、自虐の意味を込めて自分に対して使うことも可能です。
しかし、「お里が知れる」は差別的な意味合いが強い言葉なので、余程の理由がない限り、他人に対して使わないのが無難でしょう。
「お里が知れる」の由来
「お里が知れる」の「お里」とは実家のことを丁寧に表現した言葉です。これが転じて、生い立ちの良し悪しを指しています。「知れる」は知るの自動詞形で分かることを意味する言葉です。
つまり、「お里が知れる」は言葉遣いや仕草によってその人の生まれや育ちが分かることを意味することわざになります。
「お里が知れる」の類語
「お里が知れる」の類語・類義語としては、隠していたことが露わになることを意味する「馬脚を露わす」、隠していた欠点が現れることを意味する「ボロが出る」、 慎みがなく、礼儀にはずれたり品格に欠けたりして見苦しいことを意味する「はしたない」などがあります。
「親の顔が見てみたい」の意味
「親の顔が見てみたい」とは
「親の顔が見てみたい」とは、よその子の言動に呆れて発する言葉を意味しています。
「親の顔が見てみたい」は「親の顔が見たい」とも表記可能
「親の顔が見てみたい」は、「親の顔が見たい」と表記することも可能です。
「親の顔が見てみたい」の使い方
「親の顔が見てみたい」を使った分かりやすい例としては、「公共の場で泣き叫ぶなんて親の顔が見てみたい」「親の顔が見てみたいという言葉は気軽に言わない方がいいだろう」「人のことを平気で傷つける言葉を発する子の親の顔が見てみたい」などがあります。
「親の顔が見てみたい」は、よその子供の言動や行動呆れて、育てた親の顔を見てみたいことを意味する悪意を持って使うことわざです。したがって、基本的にマイナスなイメージでしか使いません。
また、使用された相手が不快な気持ちになるので、余程の理由がない限りは使わないのが無難でしょう。
「親の顔が見てみたい」の類語
「親の顔が見てみたい」の類語・類義語としては、品格や品性が劣ることを意味する「下品」、幼少期の育てられ方や環境が悪いことを意味する「育ちが悪い」などがあります。
「お里が知れる」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、言葉遣いや仕草によってその人の生まれや育ちが分かることを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、「お里が知れる」はマイナスなイメージで使われている言葉です。
「親の顔が見てみたい」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、よその子の言動に呆れて発する言葉のことを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、「親の顔が見てみたい」はマイナスなイメージで使われている言葉です。
「お里が知れる」と「親の顔が見てみたい」はどちらも相手を侮辱することを表します。どちらの言葉を使うか迷った場合、嫌悪感が強い場合は「お里が知れる」を、呆れたという気持ちが強い場合は「親の顔が見てみたい」を使うと覚えておきましょう。