似た意味を持つ「地獄の沙汰も金次第」(読み方:じごくのさたもかねしだい)と「三途の川も金次第」(読み方:さんずのかわもかねしだい)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。
「地獄の沙汰も金次第」と「三途の川も金次第」という言葉は、どちらもこの世はすべて金の力で左右されることを意味しているという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。
「地獄の沙汰も金次第」と「三途の川も金次第」の違い
「地獄の沙汰も金次第」と「三途の川も金次第」の意味の違い
「地獄の沙汰も金次第」と「三途の川も金次第」の違いを分かりやすく言うと、「地獄の沙汰も金次第」は一般的に使われている、「三途の川も金次第」は一般的に使われていないという違いです。
「地獄の沙汰も金次第」と「三途の川も金次第」の使い方の違い
一つ目の「地獄の沙汰も金次第」を使った分かりやすい例としては、「彼は揉め事をお金で解決してしまう、まさに地獄の沙汰も金次第だ」「地獄の沙汰も金次第という言葉があるように金持ちが得をする世の中だ」などがあります。
二つ目の「三途の川も金次第」を使った分かりやすい例としては、「三途の川も金次第なので示談金を用意すれば何とかなるだろう」「三途の川も金次第という言葉があるようにお金がある人と戦っても勝つことはできないだろう」などがあります。
「地獄の沙汰も金次第」と「三途の川も金次第」の使い分け方
「地獄の沙汰も金次第」と「三途の川も金次第」はどちらもこの世はすべて金の力で左右されることを意味しており、大きな違いはありません。
あえて違いを挙げるならば、「地獄の沙汰も金次第」は一般的に使われているのに対して、「三途の川も金次第」は一般的に使われていないという点です。
また、「三途の川も金次第」は一般的に使われていないだけで、「地獄の沙汰も金次第」と意味は全く同じなので、お互いに置き換えることが可能となっています。
「地獄の沙汰も金次第」と「三途の川も金次第」の英語表記の違い
「地獄の沙汰も金次第」も「三途の川も金次第」も英語にすると「Money makes the mare to go」「Money makes he world go round」となります。
「地獄の沙汰も金次第」の意味
「地獄の沙汰も金次第」とは
「地獄の沙汰も金次第」とは、この世はすべて金の力で左右されることを意味しています。
「地獄の沙汰も金次第」の使い方
「地獄の沙汰も金次第」を使った分かりやすい例としては、「地獄の沙汰も金次第というがこんなことが許されて本当に良いのだろうか」「この国には地獄の沙汰も金次第のような何でも金で解決しようという風潮があります」などがあります。
「地獄の沙汰も金次第」はこの世で悪いことをした者が死後に行って苦しみを受けるという所のことを意味する「地獄」に、物事の善悪や是非などを論じ定めることを意味する「沙汰」、貨幣のことを意味する「金」、物事のそうなるに至った理由のことを意味する「次第」が合わさった言葉です。
つまり、地獄に落ちて受ける閻魔大王からの裁判も金の力で有利になることを意味しており、これが転じて、この世はすべて金の力で左右されることの意味で使われるようになりました。
また、「地獄の沙汰も金次第」は室町時代から使われていたと言われています。室町時代後期に、山崎宗鑑が編集した『新撰犬筑波集』(読み方:しんせんいぬつくばしゅう)に、「聞けばただ地獄の沙汰も銭なれや」という一文があります。さらに、江戸時代には「いろはかるた」にも使われていました。
「地獄の沙汰も金次第」はお金だけで何でもできるという肯定の意味だけではなく、お金で何でも解決する人への皮肉として使うこともできます。
また、「報酬額を上げたらあっさり契約してくれた、地獄の沙汰も金次第だ」のように、ビジネスシーンにおいても使われている言葉です。
「地獄の沙汰も金次第」の類語
「地獄の沙汰も金次第」の類語・類義語としては、物事を行うのに金銭の力が大きいことを意味する「金が物を言う」、仏様の御利益も賽銭の多さで決まることを意味する「阿弥陀の光も金次第」(読み方:あみだのひかりもかねしだい)などがあります。
「三途の川も金次第」の意味
「三途の川も金次第」とは
「三途の川も金次第」とは、この世はすべて金の力で左右されることを意味しています。
「三途の川も金次第」の言い換え語
「三途の川も金次第」は、別表記で「三途の川さえ渡し銭が要る」とすることも可能です。
「三途の川も金次第」の使い方
「三途の川も金次第」を使った分かりやすい例としては、「三途の川も金次第という言葉があるのを初めて知りました」「三途の川も金次第なので、お金のあるチームが優秀な選手をどんどん獲得しているのが現状です」などがあります。
「三途の川も金次第」の「三途の川」とは、仏教用語で死後7日目に渡る冥途にある川のことです。三つの瀬があり、生前の業によって、善人は橋を、軽い罪人は浅瀬を、重い罪人は流れの速い深みを渡るとなっています。
これが元となり、平安時代の末期になると渡し船によって三途の川を渡るとされ、その船に乗る際に六文銭がいると言われていました。
このことから人は死んでもお金が必要となるというニュアンスで使われるようになり、これが転じて、この世はすべて金の力で左右されることの意味で「三途の川も金次第」という言葉が使われるようになりました。
「三途の川も金次第」はお金だけで何でもできるという肯定の意味だけではなく、お金で何でも解決する人への皮肉として使うこともできます。ただし、「三途の川も金次第」という言葉は一般的には使われていないので、馴染みがない人も多いでしょう。
「三途の川も金次第」の類語
「三途の川も金次第」の類語・類義語としては、金銭の力で人を屈服させることを意味する「金で面を張る」があります。
「地獄の沙汰も金次第」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、この世はすべて金の力で左右されることを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、「地獄の沙汰も金次第」はお金で何でも解決する人への皮肉として使われていることが多いです。
「三途の川も金次第」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、この世はすべて金の力で左右されることを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、「三途の川も金次第」はお金で何でも解決する人への皮肉として使われていることが多いです。
「地獄の沙汰も金次第」と「三途の川も金次第」はどちらもこの世はすべて金の力で左右されることを表します。どちらの言葉を使うか迷った場合、一般的に使われているのが「地獄の沙汰も金次第」、一般的に使われていないのが「三途の川も金次第」と覚えておきましょう。