似た意味を持つ「論より証拠」(読み方:ろんよりしょうこ)と「百聞は一見にしかず」(読み方:ひゃくぶんはいっけんにしかず)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。
「論より証拠」と「百聞は一見にしかず」という言葉は、どちらも実際に見た方が確かであることを意味しているという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。
「論より証拠」と「百聞は一見にしかず」の違い
「論より証拠」と「百聞は一見にしかず」の意味の違い
「論より証拠」と「百聞は一見にしかず」の違いを分かりやすく言うと、「論より証拠」は由来が日本の言葉、「百聞は一見にしかず」は由来が中国の言葉という違いです。
「論より証拠」と「百聞は一見にしかず」の使い方の違い
一つ目の「論より証拠」を使った分かりやすい例としては、「私を納得させるには論より証拠ですよ」「論より証拠なので実際に見てもらった方が早いだろう」「論より証拠と言われとある手紙を突き付けられました」などがあります。
二つ目の「百聞は一見にしかず」を使った分かりやすい例としては、「百聞は一見にしかずなので実際に足を運んだ方がいいだろう」「この場所から観る夜景は綺麗だと言われていたが、百聞は一見にしかず本当に素晴らしい景観です」などがあります。
「論より証拠」と「百聞は一見にしかず」はどちらも実際に見た方が確かであることを意味しており、大きな違いはありません。あえて違いを挙げるならば、「論より証拠」は由来が日本の言葉なのに対して、「百聞は一見にしかず」は由来が中国の言葉という点です。
したがって、由来が異なっているだけで意味は同じなので、「論より証拠」と「百聞は一見にしかず」は置き換えて使っても問題ありません。
「論より証拠」と「百聞は一見にしかず」の英語表記の違い
「論より証拠」を英語にすると「The proof of the pudding is in the eating」となります。
一方、「百聞は一見にしかず」を英語にすると「seeing is believing」となります。
「論より証拠」の意味
「論より証拠」とは
「論より証拠」とは、あれこれ論じるよりも証拠を示すことで物事は明らかになるということを意味しています。
「論より証拠」の使い方
「論より証拠」を使った分かりやすい例としては、「論より証拠というように実際に証拠を示した方がいいだろう」「論より証拠というように実物を見せてもらわないと信用することはできません」「論より証拠だと写真を突き付けられました」などがあります。
「論より証拠」はあれこれ論じるよりも証拠を示すことで物事は明らかになるということを意味することわざです。ことわざとは、古くから言い伝えられてきた教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉のことを意味しています。
したがって、何かしらの事実を明らかにするためには、証拠となる物事を相手に突き付けることで、事実を裏付けることは重要なのです。
「論より証拠」の由来
「論より証拠」の由来は江戸いろはかるたです。江戸いろはかるたとは、江戸時代後期に作られた47文字のいろは歌のかるたのことを意味しています。また、いろは歌は、弘法大使の仏教の教えをもとに作成されたと言われています。
この江戸いろはかるたの「ろ」で「論より証拠」が記載されており、相手がぐうの音も出ないような証拠品がある場合に、一言で解決するという決め台詞として収録されていたそうです。
時代が経つにつれて様々な人に使われるようになり、あれこれ論じるよりも証拠を示すことで物事は明らかになるということを「論より証拠」と言うようになりました。
「論より証拠」の類語
「論より証拠」の類語・類義語としては、実際に経験しなければ知らないのと同じであることを意味する「鯛も鮃も食うた者が知る」があります。
「百聞は一見にしかず」の意味
「百聞は一見にしかず」とは
「百聞は一見にしかず」とは、人から何度も聞くより一度実際に自分の目で見るほうが確かであることを意味しています。
「百聞は一見にしかず」は「百聞は一見に如かず」とも表記可能
「百聞は一見にしかず」は漢字にして、「百聞は一見に如かず」と表記することができます。
「百文は一見にしかず」は誤り
また、発音が同じだからと言って、「百文は一見にしかず」とするのは誤りなので注意しましょう。
「百聞は一見にしかず」の使い方
「百聞は一見にしかず」を使った分かりやすい例としては、「百聞は一見にしかずというので実際に体験してみることにしました」「あれこれ話を聞くより、百聞は一見にしかずだと思うよ」「百聞は一見にしかずだと思いロッククライミングを始めてみることにしました」などがあります。
「百聞は一見にしかず」は人から何度も聞くより一度実際に自分の目で見るほうが確かであることを意味する故事成語になります。故事成語とは、故事をもとにしてできたことわざや慣用句のことで、主に中国の故事が元になっていることが多いです。
「百聞は一見にしかず」の由来
「百聞は一見にしかず」の由来は、中国の書物『趙充国伝』です。『趙充国伝』とは中国の漢書と呼ばれる前漢時代の歴史書の一つになります。
チベット系遊牧民族が起こした反乱を鎮圧するために相談された将軍の趙充国が、その返答の中で「百聞不如一見、兵難隃度」という言葉を発しており、これを書き下すと「百聞は一見に如かず、兵は隃かにして度り難し」です。
この書き下した「百聞は一見に如かず、兵は隃かにして度り難し」は、戦の前線の様子は遠くにあってよく分からないので、伝聞で様子を知るより直接見たほうが良いことを意味しています。
これが転じて、人から何度も聞くより一度実際に自分の目で見るほうが確かであることを、「百聞は一見に如かず」と言うようになりました。
「百聞は一見にしかず」の類語
「百聞は一見にしかず」の類語・類義語としては、人に聞くよりも実際に自分の目で見た方が確実であることを意味する「聞いた百より見た一つ」があります。
「論より証拠」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、あれこれ論じるよりも証拠を示すことで物事は明らかになるということを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、「論より証拠」は日常生活とビジネスシーンどちらでも使うことができる言葉です。
「百聞は一見にしかず」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、人から何度も聞くより一度実際に自分の目で見るほうが確かであることを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、「百聞は一見にしかず」は「論より証拠」は日常生活とビジネスシーンどちらでも使うことができる言葉です。
「論より証拠」と「百聞は一見にしかず」はどちらも実際に見た方が確かであることを表します。どちらの言葉を使うか迷った場合、由来が日本なのが「論より証拠」、由来が中国なのが「百聞は一見にしかず」と覚えておきましょう。