似た意味を持つ「悲しい」(読み方:かなしい)と「切ない」(読み方:せつない)の違いと使い方を分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、このページの使い方を参考にしてみて下さい。
「悲しい」と「切ない」という言葉は、どちらも心が痛むことを意味するという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。
「悲しい」と「切ない」の違い
「悲しい」と「切ない」の意味の違い
悲しいと切ないの違いを分かりやすく言うと、悲しいというのは、心が痛むということを意味していて、切ないというのは、心の痛みを晴らす方法がなくやるせなく感じることを意味するという違いです。
「悲しい」と「切ない」の使い分け方
悲しいというのは、心が痛むことを意味する言葉です。「私は悲しい」や「悲しいメロディー」のように使われる言葉です。「哀しい」と書かれることもありますが、こちらは常用外の読み方のため、ふつうは「悲しい」と表記されます。
奈良時代や平安時代を始め、いわゆる古文の日本語では、「かなし」と読むものに「愛し」という言葉もありました。今日でいう「いとおしい」や「面白みに心が引かれる」というような意味でした。
このように、「かなしい」というのは、物事に動かされる情感を広く意味する言葉でしたが、今日の悲しいは「心が痛むこと」に限定されています。
次に、切ないというのは、思いをどう晴らしてよいのか分からないという心情を意味する言葉です。「遣る瀬無い」(読み方:やるせない)の同義語です。辞書で「切ない」を引くと「やるせない」で説明され、「遣る瀬無い」で引くと「せつない」が参照されます。
「瀬」は、「浅瀬」(読み方:あさせ)という言葉から分かるように、「淵」(読み方:ふち)の対義語・反対語で、川などの足がつく浅い場所を意味する言葉です。そこから比喩的に「自分の立場」の意味を持ちます。例えば、「立つ瀬がない」などを考えてください。
「自分のよって立つものがない」と感じるのが、「遣る瀬無い」であり、「切ない」という心情です。また、江戸時代や明治時代ごろまでは、体の不調や身動きの取れないことに対して「切ない」と言われていたことから、ある種の肉体感覚を伴うものだと分かります。
「ストレスを発散する」という考え方があるように、負の感情を身体的な動作によって解消することが出来ることは広く認知されていますが、どうやっても晴らせない、胸を締め付けられるような悲しさや恋しさ等の感情のことを「切ない」と表現します。
「悲しい」の意味
「悲しい」とは
悲しいとは、心が痛むという情緒のことを意味しています。
「悲しい」の使い方
日常会話で「心が痛む」という場合、むしろ「悲しい」とは別のことが言われている場合が多いです。日常会話でわざわざ「心が痛む」と言う場合、いわゆる「良心の呵責」(読み方:りょうしんのかしゃく)が表現されている場合が多いです。
例えば正当防衛から相手に怪我を負わせてしまった時に、多くの人は「心が痛み」ます。しかしこれを「悲しい」と表現するのには、日本語として違和感があります。何故なら、「悲しい」は情緒的なものですが、良心の呵責は道徳的なものだからです。
正当防衛に対して抱く良心の呵責の場合、「怪我をさせるべきではなかったのに怪我をさせてしまった」と理由がはっきりしています。しかし「悲しい」の場合、悲しさを覚える対象は特定出来ても、何故悲しいのかはハッキリしない場合が多いです。
情緒や感情が主観的なものであると言われるのはこのためですが、もっぱらそうしたものに対して「悲しい」が使われることに注意しましょう。
また、「かなしい」は古くは物事に感情が激しく動かされることを広く表現する言葉で、現代のようにマイナスの感情以外にも用いられる言葉でした。
表現方法は「毎日悲しい」「なんか悲しい」「とてつもなく悲しい」
「毎日悲しい」「なんか悲しい」「とてつもなく悲しい」などが、悲しいを使った一般的な言い回しです。
「悲しい」の対義語
悲しいの対義語・反対語としては、良いことがあった時に生じる感情を意味する「嬉しい」、機嫌がとても良いことを意味する「上機嫌」、面白くて笑いたくなることを意味する「おかしい」などがあります。
「悲しい」の類語
悲しいの類語・類義語としては、貧しかったり、静かだったりして心細くさびしいことを意味する「侘しい」(読み方:わびしい)、悲しいほどに痛ましいことを意味する「悲痛」「悲愴」などがあります。
「切ない」の意味
「切ない」とは
切ないとは、思いを晴らすことが出来ずにやるせなく感じることを意味しています。
「切ない」の使い方
「切ない」というのは、「遣る瀬無い」と同義語です。瀬というのは、「立つ瀬がない」という言葉から分かるように、立場や足場、自分の立脚点などのことを意味しています。
「切ない」は、そうしたものがないという意味合いを含む言葉ですが、これは具体的には肉体的感覚のことと考えることが出来ます。事実、江戸時代や明治時代頃までは、「切ない」は、身体的な具合の悪さや身動きが取れずどうしようもないことを意味しました。
例えば、田舎の「郷愁的情景」(読み方:きょうしゅうてきじょうけい)は、時に切ないものです。自分の体に染みついた田舎の光景、つまり自分の原点の光景が思い出されるからです。また、「胸が締め付けられる」ような「恋慕」(読み方:れんぼ)の情も「切ない」と表現されます。
表現方法は「切ない気持ち」「切ない恋」「切ないくらい愛してた」
「切ない気持ち」「切ない恋」「切ないくらい愛してた」などが、切ないを使った一般的な言い回しです。
「切ない」の対義語
切ないの対義語・反対語としては、苦痛や苦労なく楽々とすることを意味する「安楽」、性格や気分がのんびりとしてあくせくしていないことを意味する「呑気/暢気/暖気」(読み方:のんき)などがあります。
「切ない」の類語
切ないの類語・類義語としては、不快であることや、思い出すのが嫌なことを意味する「苦い」、思い悩みが晴れず苦しむことを意味する「悶悶」(読み方:もんもん)、気恥ずかしさや不快感からその場にもはや居られない気持ちを意味する「居た堪れない」などがあります。
切ないの切の字を使った別の言葉としては、問題などが自分に関係し、気持ちを込めずにはいられないことを意味する「切実」、期日などが間近に迫り緊張感があることを意味する「切迫」、強く心に迫ることを意味する「切切」(読み方:せつせつ)などがあります。
「悲しい」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、激しく心を動かされて辛いということを表現したい時などが挙げられます。「私は悲しい」という直接的な表現よりも、「悲しい物語」や「悲しい言葉」のような、感情を引き起こす物事を修飾する形で使われる傾向が多いです。
悲しいと切ないの使い分けは微妙ですが、「痛ましさ」という意味合いは「悲しい」と表現される傾向があることを覚えておくと、使い分けの一つの目安になります。
「切ない」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、やるせなさを表現したい時などが挙げられます。国語辞書で「切ない」を引くと「遣る瀬無い」気持ちなどと説明され、「遣る瀬無い」を引くと「切ない」が参照されています。
切ないと悲しいの境界線は曖昧なところが多いのですが、切ないには「痛ましい」の意味合いは薄いです。
また、単に感情が生じているのではなく、「具体的な行動で発散させたいが、やっても仕方がない、やりたくとも出来ない」ような気持ちを意味することもあります。例えば「恋愛感情の切なさ」や、例文1や5の「情景に抱く切なさ」を考えてみてください。