【血は争えない】と【蛙の子は蛙】の意味の違いと使い方の例文

言葉の使い方の例文

似た意味を持つ「血は争えない」(読み方:ちはあらそえない)と「蛙の子は蛙」(読み方:かえるのこはかえる)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。

どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。

「血は争えない」と「蛙の子は蛙」という言葉は、どちらも親と子が似ることを意味しているという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。




「血は争えない」と「蛙の子は蛙」の違い

「血は争えない」と「蛙の子は蛙」の意味の違い

「血は争えない」と「蛙の子は蛙」の違いを分かりやすく言うと、「血は争えない」よりも「蛙の子は蛙」の方が悪いイメージを持っているという違いです。

「血は争えない」と「蛙の子は蛙」の使い方の違い

一つ目の「血は争えない」を使った分かりやすい例としては、「やはり血は争えませんね」「血は争えないと思う瞬間は好きな食べ物が同じだった時です」「母親と好みの男性のタイプが似るのは血は争えないと感じる」などがあります。

二つ目の「蛙の子は蛙」を使った分かりやすい例としては、「仕草は親に似るもので、蛙の子は蛙と思うことがあります」「蛙の子は蛙なので父親と同じ大学へ進学しました」などがあります。

「血は争えない」と「蛙の子は蛙」の使い分け方

「血は争えない」と「蛙の子は蛙」はどちらも親と子が似ることを意味する言葉で大きな違いはありません。あえて違いを挙げるならば、「血は争えない」よりも「蛙の子は蛙」の方が悪いイメージを持っているというのが違いになります。

分かりやすい例を挙げると、「部長の娘さん大学の進学決まったんですね。部長と同じ大学なんて血は争えないものですね」と「部長の娘さん大学の進学決まったんですね。部長と同じ大学なんて蛙は蛙の子ですね」などがあります。

前者の「血は争えない」は蔑むニュアンスがないので目上の人に対して使っても問題ありません。一方、後者の「蛙の子は蛙」は蔑むニュアンスを持っているので目上の人に対して使うことはできません。

「血は争えない」と「蛙の子は蛙」の英語表記の違い

「血は争えない」を英語にすると「blood will tell」となります。

一方、「蛙の子は蛙」を直訳した英語はありませんが、近い表現として「The apple never doesn’t falls far from the tree」や「Like father,like son」などがあります。

「血は争えない」の意味

「血は争えない」とは

「血は争えない」とは、子どもが父母から気質や性向を受け継いでいることは否定しようがないことを意味しています。

「血は争えない」の使い方

「血は争えない」を使った分かりやすい例としては、「親も親なら子も子だ、血は争えない」「血は争えないと思う瞬間は好きな芸能人が一緒だった時です」「父親と好みの女性のタイプが似るのは血は争えないと感じる」などがあります。

「血は争えない」は子どもが父母から気質や性向を受け継いでいることは否定しようがないことを意味する慣用句です。この場合の「争う」は「戦う」という意味ではなく、「認めざる得ない」という意味で使うので、プラスのイメージでもマイナスのイメージどちらでも使うことができます。

「血は争えない」の特徴は、親子の関係のみに使えるという点です。したがって、兄弟やいとこなどの親戚対して使うことはできません。そのため、「血筋は争えない」は親と子の容姿や性格が似ている場合に使う言葉と覚えておきましょう。

「血は争えない」の類語

「血は争えない」の類語・類義語としては、親子はいつの間にか似てしますことを意味する「子は親に似る」、血筋を引いた間柄は他人に対するより親密であることを意味する「血は水よりも濃い」などがあります。

「蛙の子は蛙」の意味

「蛙の子は蛙」とは

「蛙の子は蛙」とは、子は親のたどった道を歩むものだということを意味しています。

「蛙の子は蛙」の使い方

「蛙の子は蛙」を使った分かりやすい例としては、「母親の若い頃にそっくりと言われると蛙の子は蛙と感じる」「蛙の子は蛙という言い訳をして努力しないのは間違いです」「蛙の子は蛙というようにうちの息子は英語が苦手です」などがあります。

「蛙の子は蛙」は子は親のたどった道を歩むものだということを意味することわざです。つまり、凡人の子供は凡人であるというニュアンスで使う言葉で、子供は親以上にはなれないというマイナスなイメージを持っています。

そのため、相手を蔑むニュアンスで使うことが多く、目上の人に対しては使えない言葉になります。「蛙の子は蛙のように素晴らしい子に成長した」のような褒め言葉では使わないと覚えておきましょう。

「蛙の子は蛙」の由来

「蛙の子は蛙」の由来はおたまじゃくしになります。おたまじゃくしは、親とは全く似ていない姿をしていますが蛙の子供です。しかし、成長すると親と全く同じ姿の蛙になります。これが転じて、子供は結局親に似てくるということを、「蛙の子は蛙」と言うようになりました。

「蛙の子は蛙」の類語

「蛙の子は蛙」の類語・類義語としては、縦に二つに割った瓜のように親子や兄弟などの顔がよく似ていることを意味する「瓜二つ」(読み方:うりふたつ)、非常によく似ていることを意味する「そっくり」などがあります。

「血は争えない」の例文

1.親父と一緒で人を殴って捕まってしまいました。やはり血は争えない。
2.かつて父親がサッカー選手を目指していたように自分もサッカー選手を目指すことを決意すると、周囲から血は争えないと言われました。
3.母親と血は争えないと思う瞬間は、好みの服装が似ていた時です。
4.自分が親にされたことを、今度は自分が子どもにしてしまう時があるので、血は争えないと感じてしまった。
5.親と一緒で子も政治家になるなんて、血は争えないものですね。
6.実家に帰ったら私が愛読している雑誌があったので、持ってきたっけ?と思っていたら父もこの雑誌を愛読していると知り、血は争えないと思った。
7.歌舞伎などは父から子へという伝承芸能の最たる例であるが、とはいえ幼いころに父親をなくして直接の指導など受けていないはずなのに、いまや生前の父親とそっくりの演技をする。やはり芸能の血は争えないものですね。
8.うちの母方の家系はサラリーマンが全くいない。かくいう私も大学卒業後はまともに会社勤めはせず今ではフリーランスのライター稼業だし、まったく血は争えないものです。
9.親子で血は争えないと思うのは、お互いに無類の肉好きであるということで、毎週必ずステーキ屋に行くということだ。
10.最近よくテレビに出る若手女優さんは、昭和の名優の娘さんだと知り、やはり血は争えないと思った次第だ。

この言葉がよく使われる場面としては、子どもが父母から気質や性向を受け継いでいることは否定しようがないことを表現したい時などが挙げられます。

上記の例文のように、「血は争えない」は基本的に親子に対してのみ使う言葉になります。

「蛙の子は蛙」の例文

1.蛙の子は蛙だと言って、子供の夢を諦めさせるのは時期尚早だと思います。
2.あれだけ嫌がっていたのに、親の会社に入社して次期社長候補として働くことになった。やはり蛙の子は蛙だ。
3.蛙の子は蛙ということわざがあるが、私は必ずしもそうではないと思っています。
4.彼女は両親とは違う道を歩むと豪語しているが、今までの経歴をみると、蛙の子は蛙というのを否定できていません。
5.母親と私は容姿も性格もそっくりです。まさに蛙子は蛙そのものだ。
6.同級生が先日40歳でおばあちゃんになった。娘も20歳で出産なんて蛙の子は蛙よねと照れくさそうに笑っていた。
7.どんなに早くから音楽的英才教育を始めたところで、蛙の子は蛙。私も夫も、ただ音楽が好きというだけで何の楽器も弾けないとなれば、子どもをピアニストにするという目論見は成功しないんでしょうか。
8.隣に住んでる同級生の息子は夜は誰かとどんちゃん騒ぎをしていたが、父親の若い頃に似ていて蛙の子は蛙と思ったよ。
9.平凡な家庭に育ったのに世界でも有名なピアニストになるなんて、蛙の子は蛙ではなくて白鳥にでもなってしまったのだろうか。
10.うちの会社のお局様には顔と声と態度がでかい娘がいるらしく、まさに蛙の子は蛙といったところだろうか。

この言葉がよく使われる場面としては、子は親のたどった道を歩むものだということを表現したい時などが挙げられます。

上記の例文のように、「蛙の子は蛙」は基本的に親子に対してのみ使う言葉になります。

「血は争えない」と「蛙の子は蛙」はどちらも親と子が似ることを表します。どちらの言葉を使うか迷った場合、「血は争えない」よりも「蛙の子は蛙」の方が悪いイメージを持っているというのが違いです。

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