似た意味を持つ「後は野となれ山となれ」(読み方:あとはのとなれやまとなれ)と「旅の恥はかき捨て」(読み方:たびのはじはかきすて)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。
どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。
「後は野となれ山となれ」と「旅の恥はかき捨て」という言葉は、どちらも自分中心の考え方のことを意味しているという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。
「後は野となれ山となれ」と「旅の恥はかき捨て」の違い
「後は野となれ山となれ」と「旅の恥はかき捨て」の違いを分かりやすく言うと、「後は野となれ山となれ」は将来を投げ出すような無責任さを表現していること、「旅の恥はかき捨て」はその場かぎりの気軽さを表現していることという違いです。
一つ目の「後は野となれ山となれ」を使った分かりやすい例としては、「自分の仕事さえ終われば、後は野となれ山となれという態度では困る」「試験が終わった瞬間、後は野となれ山となれという気分になった」などがあります。
二つ目の「旅の恥はかき捨て」を使った分かりやすい例としては、「旅の恥はかき捨てと言うが、行く先々でのマナーは守るべきだ」「彼は旅の恥はかき捨てと言わんばかりに、知らない土地で思い切り羽を伸ばしていた」などがあります。
「後は野となれ山となれ」と「旅の恥はかき捨て」はどちらも自分中心の考え方のことを意味する言葉ですが、使い方に少し違いがあるので注意が必要です。
「後は野となれ山となれ」は、目先のことしか考えず、将来や他人の迷惑を気にしないような無責任な態度を表します。「プロジェクトを途中で放り出して、後は野となれ山となれという姿勢では信頼を失う」のように、将来に対して責任を放棄するような場面で使われる言葉です。
一方、「旅の恥はかき捨て」は、普段の生活圏から離れた場所では、恥ずかしがらずに行動してもいいという考え方を表します。「普段は控えめな彼女も、旅の恥はかき捨てとばかりにカラオケで大はしゃぎしていた」のように、一時的に羽を伸ばすような場面で使われます。
つまり、将来を投げ出すような無責任さを表現しているのが「後は野となれ山となれ」、その場かぎりの気軽さを表現しているのが「旅の恥はかき捨て」と覚えておきましょう。
「後は野となれ山となれ」も「旅の恥はかき捨て」も日本語特有のことわざなので直訳した英語はありません。
「後は野となれ山となれ」の意味
「後は野となれ山となれ」とは、目先のことさえすんでしまえば後はどうなってもかまわないことを意味しています。
「後は野となれ山となれ」を使った分かりやすい例としては、「もう自分にできることはない、後は野となれ山となれだ」「彼は後は野となれ山となれという態度で仕事を放り出した」「結果はどうなってもいい、後は野となれ山となれと腹をくくった」などがあります。
「後は野となれ山となれ」は、今後のことはどうなっても構わない、もう成り行きに任せるしかないというニュアンスのことわざです。つまり、どうにでもなれという投げやりな気持ちを表す言葉として使われます。
「後は野となれ山となれ」の語源は、江戸時代の川柳です。もともとは「自分の務めが終わったあとは、世の中がどうなってもかまわない」という意味で、無責任な態度を批判する言葉として使われていました。
この表現に含まれる「野となれ」「山となれ」とは、整った土地が荒れ果てても構わないというたとえです。そのため、自分の手を離れた後は世の中がどう変わろうと気にしないという心情を強く表しています。
「後は野となれ山となれ」は、基本的にはマイナスのイメージで使われます。無責任な態度や、将来を考えずに行動する人に対して使われることが多いです。
ただし現代では、「もうできることは全部やったから、後は運に任せる」というように、開き直りや覚悟の表現として前向きに使われることもあります。文脈によっては「投げやり」ではなく、「潔い態度」として肯定的に捉えられる場合もあると覚えておきましょう。
「後は野となれ山となれ」の類語・類義語としては、物事を自然の流れに任せることを意味する「成り行きに任せる」、やるべきことをしたら後は運命に任せることを意味する「人事を尽くして天命を待つ」などがあります。
「旅の恥はかき捨て」の意味
「旅の恥はかき捨て」とは、旅では知っている人がいないからどんなことをしても恥にならないことを意味しています。
「旅の恥はかき捨て」を使った分かりやすい例としては、「旅の恥はかき捨てと言うけれど、マナーは守りたいものだ」「彼は旅の恥はかき捨てとばかりに地元では絶対にしないようなことをしていた」「旅の恥はかき捨てという気持ちで思い切って知らない人に話しかけてみた」などがあります。
「旅の恥はかき捨て」は、旅先では一時のことだから多少の恥をかいてもかまわないというニュアンスのことわざです。普段なら気が引けるようなことでも、旅の間だけは遠慮せず行動してよいという気持ちを表しています。
「旅の恥はかき捨て」という表現は、江戸時代のことわざとして広まりました。当時は「旅」は一生に何度もできるものではなく、非日常の特別な体験とされていたため、旅の中で多少の恥をかいてもその土地を離れれば二度と会うことはないという発想から生まれた言葉です。
「旅の恥はかき捨て」は、一見すると「恥知らずな行動をしてもいい」というマイナスの意味に聞こえますが、本来は「旅先では思い切って普段できないことをしてみよう」という肯定的な意味でも使われてきました。
たとえば、「普段は人見知りだけど、旅の恥はかき捨てと思って勇気を出した」というように、恥を恐れず挑戦する前向きな姿勢を表すときにも使われます。
しかし現代では、「観光地での迷惑行為」や「マナー違反」を正当化するような場面で使うと、皮肉や批判の意味として受け取られることが多いのが特徴です。
「旅の恥はかき捨て」の類語・類義語としては、人との出会いは一生に一度のものだから大切にすべきことを意味する「一期一会」があります。
「後は野となれ山となれ」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、目先のことさえすんでしまえば後はどうなってもかまわないことを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、「後は野となれ山となれ」は将来を投げ出すような無責任さを表現している時に使う言葉です。
「旅の恥はかき捨て」の例文
この言葉がよく使われる場面としては、旅では知っている人がいないからどんなことをしても恥にならないことを表現したい時などが挙げられます。
上記の例文にあるように、「旅の恥はかき捨て」はその場かぎりの気軽さを表現している時に使う言葉です。
「後は野となれ山となれ」と「旅の恥はかき捨て」はどちらも自分中心の考え方のことを表します。どちらの言葉を使うか迷った場合、将来を投げ出すような無責任さを表現しているのが「後は野となれ山となれ」、その場かぎりの気軽さを表現しているのが「旅の恥はかき捨て」と覚えておきましょう。