【邯鄲の夢】と【胡蝶の夢】の意味の違いと使い方の例文

言葉の使い方の例文

似た意味を持つ「邯鄲の夢」(読み方:かんたんのゆめ)と「胡蝶の夢」(読み方:こちょうのゆめ)の違いを例文を使って分かりやすく解説しているページです。

どっちの言葉を使えば日本語として正しいのか、迷った方はこのページの使い分け方を参考にしてみてください。

「邯鄲の夢」と「胡蝶の夢」という言葉は、どちらも人生は儚いことを意味しているという共通点があり、本来の意味は少し違いますが混同して使われる傾向があります。




「邯鄲の夢」と「胡蝶の夢」の違い

「邯鄲の夢」と「胡蝶の夢」の意味の違い

「邯鄲の夢」と「胡蝶の夢」の違いを分かりやすく言うと、「邯鄲の夢」は枕中記が由来、「胡蝶の夢」は荘子の斉物論が由来という違いです。

「邯鄲の夢」と「胡蝶の夢」の使い方の違い

一つ目の「邯鄲の夢」を使った分かりやすい例としては、「人の一生は邯鄲の夢である」「いくら有名になったからといって人の世は邯鄲の夢でしかありません」「巨万の富を気付いたが邯鄲の夢ということに気づいてしまった」などがあります。

二つ目の「胡蝶の夢」を使った分かりやすい例としては、「人生はまさに胡蝶の夢です」「栄光は胡蝶の夢のように続きません」「胡蝶の夢のように境界線が曖昧であれば戦争のない世の中になるだろう」などがあります。

「邯鄲の夢」と「胡蝶の夢」の使い分け方

「邯鄲の夢」と「胡蝶の夢」はどちらも人生は儚いことを意味しており、大きな違いはありません。あえて違いを挙げるならば、「邯鄲の夢」は枕中記が由来なのに対して、「胡蝶の夢」は荘子の斉物論が由来という点です。

また、「胡蝶の夢」は現実と夢とが区別できないことの意味も持っているというのも違いの一つになります。

「邯鄲の夢」と「胡蝶の夢」の英語表記の違い

「邯鄲の夢」を英語にすると「an ephemeral dream of prosperity」となります。一方、「胡蝶の夢」を英語にすると「Life is but a dream]となります。

「邯鄲の夢」の意味

「邯鄲の夢」とは

「邯鄲の夢」とは、人生の栄枯盛衰の儚いことを意味しています。

「邯鄲の夢」の使い方

「邯鄲の夢」を使った分かりやすい例としては、「一瞬で失う輝きを経験して邯鄲の夢だなと実感しました」「私の人生は災難ばかりで邯鄲の夢そのものであるだろう」「彼女は成功を自慢しているが邯鄲の夢だということにいつか気付くだろう」などがあります。

「邯鄲の夢」は日常生活ではあまり使われず、ビジネスシーンで使う言葉になります。主に、人生で大成功を収めた人や企業に対して使用し、どんなに華やかな人生も、時が流れれば風化してしまい邯鄲の夢のように儚いというニュアンスで使います。

「邯鄲の夢」の由来

「邯鄲の夢」は中国の伝奇小説である『枕中記』(読み方:ちんちゅうき)が由来です。邯鄲とは唐の青年である盧生(読み方:ろせい)が立ち寄った町の名前になります。

盧生は邯鄲で成功することを夢見て旅に出ました。そこで道教を信泰し道教の教義に基づいた活動をする道士の呂翁に出会い、栄華が思う通りになるという不思議な枕を借りました。

そこでうたた寝をすると、50余年の富貴を極めたという不思議な夢を見たのです。しかし、目が覚めてみると宿の主人が炊いていた粟もまだ煮え切らないほど僅かな時間でとても儚かったのです。このことが転じて、人生の栄枯盛衰の儚いことを「邯鄲の夢」と言うようになりました。

「邯鄲の夢」の類語

「邯鄲の夢」の類語・類義語としては、人生は儚く虚しいことを意味する「諸行無常」(読み方:しょうぎょうむじょう)、この世は無常であり勢いの盛んな者もついには衰え滅びるということを意味する「盛者必衰」(読み方:じょうしゃひっすい)などがあります。

「胡蝶の夢」の意味

「胡蝶の夢」とは

「胡蝶の夢」とは、現実と夢とが区別できないことを意味しています。その他にも、人生は儚いことの意味も持っています。

「胡蝶の夢」の使い方

「胡蝶の夢」を使った分かりやすい例としては、「人生は所詮胡蝶の夢である」「達成したと思っていたら夢だったらしい、まさに胡蝶の夢と言えるだろう」「一つのスキャンダルによって今まで積み上げたものが崩れてしまう、胡蝶の夢のようだ」などがあります。

「胡蝶の夢」の由来

「胡蝶の夢」は中国の思想家荘子の『斉物論』が由来です。荘子はある日自分が蝶々になった夢を見ました。花の周りを自由に飛び回るのがとても楽しくて人間であることを忘れてしまいました。しかし、夢から覚めると蝶々ではなく人間に戻ってしまっていました。

荘子は自分が夢の中で蝶になったのか、それとも夢の中で蝶が自分になったのか、自分と蝶との見定めがつかなくなってしまったというお話です。このことことが転じて、現実と夢とが区別できないことを「胡蝶の夢」というようになりました。

また、蝶々であった楽しい時間は短く儚いことから、人生は儚いことの意味でも使われています。

「胡蝶の夢」の類語

「胡蝶の夢」の類語・類義語としては、人生の栄枯盛衰の儚いことを意味する「邯鄲の枕」、非常に儚いことを意味する「夢幻」、自分とものとの区別がなくなってしまう物我一体の境地のことを意味する「荘周之夢」(読み方:そうしゅうのゆめ)などがあります。

「邯鄲の夢」の例文

1.オリンピックで金メダルを取った選手が不倫スキャンダルで世間から消えてしまいました。まさに邯鄲の夢だ。
2.出世し続けて会社の役員まで上り詰めました。しかし、邯鄲の夢ということに気づいてしまいました。
3.自分は他人とは違うと思っていたとしても、最後は邯鄲の夢で終わるだろう。
4.政治家を目指した彼の人生は、スキャンダル発覚により邯鄲の夢で終わりました。
5.人生は邯鄲の夢だったとしても、私は毎日を一生懸命に生きようと思います。
6.いくら成功してお金持ちになったからと言って、人の世は邯鄲の夢に過ぎないのだから慢心してはならないのです。
7.どんなに人気が出て黄金期を迎えても、いつかは落ちぶれるのだからすべては邯鄲の夢に過ぎないと心得よ。
8.世界の独裁者たちに向けて私から邯鄲の夢という言葉を送ってあげたいが、彼らの耳には届かないだろう。
9.私は学校でいじめられているが、例えすべては邯鄲の夢だからと自らを慰めても、苦痛が和らぐわけでもない。
10.いつもは調子に乗らないようにしているのに、ちょっと上手くいくとそれが邯鄲の夢ということにも気づけなくなってしまう。

この言葉がよく使われる場面としては、人生の栄枯盛衰の儚いことを表現したい時などが挙げられます。

上記の例文にあるように、「邯鄲の夢」は人生は儚く短いこと表現したい時に使います。

「胡蝶の夢」の例文

1.夢から覚めるまではそれが夢だと分かりませんでした。まさに胡蝶の夢だろう。
2.宝くじが当たったと思っていたら、どうやら夢の中の出来事でした。まるで胡蝶の夢だ。
3.東大に合格したと思っていたが、現実ではなく夢だった。これは胡蝶の夢と言えるだろう。
4.人生は所詮胡蝶の夢だ。億万長者になったとしてもそれに何の意味があるのだろうか。
5.人生とは胡蝶の夢である。彼女はとても容姿端麗だがその美しさは時間と共に失われていきます。
6.年齢が50歳を過ぎたころになってからというもの、人生なんて所詮胡蝶の夢だとどこか諦めにも似た感情に襲われている。
7.今まで信頼を得るために様々な努力をやってきたが、一度の不正によってすべてが崩れた。まるで胡蝶の夢のようだった。
8.大学時代に胡蝶の夢を考えた荘子という思想家に興味を持つようになり、それから老荘思想に傾倒するようになりました。
9.あの時は人生初のモテ期だと思っていたが、結局一瞬で終わってしまって、まさに胡蝶の夢だなと思うに至ったのでした。
10.お金持ちになっても所詮この世は胡蝶の夢だと豪語するのであれば、その全財産を私に寄付してほしいものだね。

この言葉がよく使われる場面としては、現実と夢とが区別できないことを表現したい時などが挙げられます。その他にも、人生は儚いことの意味も持っています。

例文1から例文3の「胡蝶の夢」は現実と夢とが区別できないこと、例文4と例文5の「胡蝶の夢」は人生は儚いことの意味で使われています。

「邯鄲の夢」と「胡蝶の夢」はどちらも人生は儚いことを表しています。どちらの言葉を使うか迷った場合、枕中記が由来なのが「邯鄲の夢」、荘子の斉物論が由来なのが「胡蝶の夢」と覚えておきましょう。

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